リウ・ツーシン/1963年、山西省陽泉生まれ。発電所でエンジニアとして働くかたわらSF小説を執筆していた。日本のSF作品にも詳しい(撮影/工藤隆太郎)
リウ・ツーシン/1963年、山西省陽泉生まれ。発電所でエンジニアとして働くかたわらSF小説を執筆していた。日本のSF作品にも詳しい(撮影/工藤隆太郎)

 日本ではビジネスパーソンが手に取り、アメリカではオバマ前大統領も在任中に愛読した中国のSF小説『三体(さんたい)』。作者の劉慈欣(リウツーシン)さんに物語が生まれるまでの道程を尋ねた。

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『三体』は、物理学の「三体問題」に関する文章を読んだことから生まれました。三つの天体が互いに万有引力を及ぼし合いながらどんな動きをするか、という問題で、数学的には答えが出ないことが証明されています。

「もし三つの太陽を持つ星系があったとしたら、その文明やそこでの生活はどんなものになるのだろう」という疑問が、作品を書くきっかけでした。

 私の幼少期は文化大革命の時代と重なっています。小学生の頃、父が隠し持っていたジュール・ヴェルヌの『地底旅行』を読んだのが、SF小説との出合いです。1950年代に繁体字で印刷された本でした。70年代後半に中国で改革開放政策が取られると、日本や西側のSF作品が大量に入ってきたので、さまざまな本を読むことができました。

 日本では文革のことをよく尋ねられます。「『日本沈没』が日本人に与えたような絶望を中国人に与えるならば何か」と考えると、ヒロインが人類全てに絶望する経験として、歴史的には文革しかなかった。ただ最近の若者は文革についてあまり知らないし興味も持っていないので、最終的に文革のシーンは短くしています。

 ジャンルを問わずに好きな作家を挙げるなら、まずトルストイ。当時の中国人はかなりロシアの影響を受けていましたね。SFではアーサー・C・クラークです。トルストイは当時の民族が抱えていた時代の問題を書いていましたし、クラークは人類と宇宙の関係を描いている点に感銘を受けました。

 小松左京も大きな影響を受けたSF作家の一人です。とくに『日本沈没』で書かれている世界の特徴は私の作品に似ている部分があると思います。小説の描写が写実的であること、そしてクレージーなアイデアという点で。小松さんにお会いできなかったことは、今でも悔やまれます。

 SFはアイデアが命です。アイデアを生む努力が必要だけれど、努力だけでも駄目なのが難しいところですね。

 近年、アメリカでは東洋文化の背景を持った作家、たとえばケン・リュウさんなどアジア系の作家が活躍しています。その理由を考えてみると、SFはアメリカで長い歴史を持っていますが、活力を失いつつあり、異文化の存在感が大きくなっているからではないでしょうか。

(構成/矢内裕子)

AERA 2020年2月24日号