日本人の父とハンガリー人の母を持つピアニストの金子三勇士さんは、小1でハンガリーへ留学して音楽を学び、今では国内外で活躍する。だが、日本への帰国後は国際コンクールで優勝するほどの実力を持ちながら、思うように露出できず不安な日を過ごした。自分を支えてくれる人と出会い、多くの演奏会ができるようになった今、次は自分が次世代に何ができるかを考える。AERA 2020年2月17日号に掲載された「現代の肖像」から一部紹介する。
ある秋の一日。東京都狛江市にある緑野小学校の音楽室で、4年生の生徒たちが椅子に座って、あるピアニストの登場を待っていた。バタンと勢いよく隣の楽器室の扉が開くと、金子三勇士(30)が燕尾服のテールをたなびかせながら入ってきた。その姿に生徒たちが「うわーっ!」と驚いた表情を見せる。金子がコンサートと同様に重視しているアウトリーチ活動の始まりである。
その日の朝、金子と駅で待ち合わせた時は、好きだというボーダーTシャツにジャケット、マスクという格好でキャリーバッグを引いていた。中身は燕尾服。アウトリーチ活動では正装すると決めている。言葉遣いも大人に対する時とまったく同じ。それは生徒たちに敬意を持って真剣に向き合おうという姿勢の表れである。
金子はまず、生徒たちにクイズを出した。
「僕は日本人でしょうか? それとも外国人でしょうか?」
迷いながら手を挙げる生徒たちに、彼は自分が日本人の父とハンガリー人の母との間に生まれたと教え、胸元に刺したピンバッジを示した。バッジは両国の国旗をデザインしたものだ。後ろに立つ私には、小さな背中や頭が好奇心でさざ波のように動くのがよく見えた。
ミニライブは和気藹々と進んだ。ショパンの「英雄ポロネーズ」を演奏する際には子どもたちをそばに呼び、入れるだけピアノの下に潜り込んでもらう。入りきれない子は彼を囲んで指の動きを見つめる。最初の一音が鳴った途端、音の大きさや広がりにびっくりして一騒ぎとなった。普段授業で聴き慣れたピアノからこんな音楽が溢れてくるのかという驚きと感激。時間はあっという間に過ぎていき、金子は子どもたちの笑顔と大きな拍手に送られて楽器室に引き揚げた。この日は45分の授業が3コマあった。続けて3コマでは疲れるはずだが、淡々と「慣れていますから」と言う。彼は国内外で年間130~140回ものコンサートをこなし、テレビやラジオへの出演も多い。出かけていくのは小学校に限らない。時には親と離れて暮らす児童養護施設にも行く。