聴けばわかることだが、歌っている内容の器も大きいが、歌もギターもベースもドラムも鍵盤も、とにかく音量が大きい。ボリュームのつまみをほんの少し大きくするだけで、音の幅を立体的に実感できる。まさに体が「脈」を打っている様子を体感できる音量と音圧だ。
2019年の1年間をこの「脈」というアルバムに捧げたと語る牧野は、ダイナミックなロック・サウンドを自ら現場でコントロールしながら完成させていく醍醐味を痛感したという。 豪胆な作品をレコーディングするとなると、作り手は演奏に専念するものだ。だが、湯浅の歌やメロディーを支える牧野はギタリストとしての役割に没入しながらも、自らの手で制御する作業にも腐心したということなのだろう。
「前作『港』(2009年)を出した後にザ・バーズのクラレンス・ホワイトを知り、“自分のギタープレイのコンセプトは間違っていなかった”と確信しました。近年は“本来照れるような音型を照れなく演奏し、それをめちゃ大きな音で録(と)ってミックス時に配置すればいい”と思うに至りました」
牧野は1曲ずつ、必ず印象に残るような音型を意識して、ギター・リフやフレーズを作って弾いたという。繊細で知的な作業を野趣あふれた演奏で表現する。そこにロック音楽の持つ野性を感じるのである。
アルバムの中では、最後に収められた約13分もの大作「望まない」がとりわけ出色だ。猫や犬はもとより、畳やふすま、あるいは梅干しやたくあんに至るまで「人間のように貪欲ではない」とつづる。その迫力たるや言葉を失うほどだが、湯浅湾がこのアルバムの多くの曲で提示するこうした人間批判もまた、ロックの包容力なのだ。(文/岡村詩野)
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