イスラエル・ヘブライ大学のニシム・オトマズキン教授は、先ごろ、イスラエルとポルトガル、2国のパスポートを得たと言います。AERA dot.コラム「金閣寺を60回訪れたイスラエル人教授の“ニッポン学”」。今回は、二重国籍について。
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2カ月前、私はポルトガルに飛び、ポルトガルのパスポートを受け取りました。言語もわからない国を訪れるのは初めてでした。現在、私は2つの市民権と2つのパスポートを持っています。1つはイスラエルで、もう1つはポルトガルです。
すべては数年前、500年以上前にポルトガルから追放されたポルトガル系ユダヤ人の子孫が国籍を保持できるようにする新しい法律がポルトガル議会で可決されたときに始まりました。
1496年、ポルトガル王マヌエル1世は、ポルトガルに住むすべてのユダヤ人に最後通牒を突きつけました。洗礼を受けてカトリックに改宗するか、追放するかです。これに先立つ4年前、スペインに住む約10万人のユダヤ人が同じ最後通牒を突きつけられた後、ポルトガルに移住していました。 スペインとポルトガルのカトリック教徒はユダヤ人に対して強い偏見を持っており、非カトリック教徒に宗教を変えるよう強制することで彼らの宗教的熱意を証明したかったのです。
15世紀まで、一部のユダヤ人はポルトガルの経済生活で重要な位置を占めていましたが、最後通牒に従って、ほとんどのユダヤ人はポルトガルから逃れ、ユダヤ人の信仰とアイデンティティーを保持することにしました。 ポルトガルを離れることを余儀なくされたユダヤ人のほとんどは、オスマン帝国の都市、特にサロニカ(テッサロニキ)とコンスタンティノープル (現在のイスタンブール) と、モロッコに移動しました。少数はアムステルダムや、フランス、ブラジルの都市に行きました。
一部のユダヤ人家族は、ポルトガルとスペインにとどまり、カトリックに改宗しましたが、密かにユダヤ教の信仰を実践しました。これは、日本の隠れキリシタンに似ています。