この作品に限らず、作家のなかを通って作品になるには時間がいるのだと小川さんは言う。

「みんなが忘れかけたころに、落としたかけらを拾って歩くのが作家のイメージ。そんなかけらがこの小箱に入っているでしょう」

 一人ひとりに物語がある。暮らしのなかに、記憶のなかに。小川さんはふだんの現実を見て、かけらをすくいとって小説にしていく。

「裏を返せば、現実の世界で生きるには空想の世界の助けを借りないといけないんですね」

 たしかに、亡き子が成長し、結婚するのは理屈にはあわない。だけど頭ごなしに否定はできない。わが子に先立たれるという現実の苦しみを支えるのが、ムカサリ絵馬の力ではないか。

『小箱』を書き進めて、小川さんは気づいたことがあるという。

「悲しみの極限を経験した人だけが味わえる、死者がもたらしてくれる何か喜びみたいなものがあるんじゃないか」

 物語の結末を飾る亡き子どもの結婚式は晴れやかだ。ろうそくの灯が親たち出席者の心を照らすように。

「未来を照らす、苦しみの闇を帳消しにするようなキラキラしたものじゃない。涙に反射するような小さな光が結婚式の講堂にともっていたんですね」

 閉じた世界に広がる物語。小川洋子的世界はつつましやかで切なく、こわい。『密やかな結晶』(1994年)で身のまわりのものが消滅していく記憶狩りの島があらわれ、『貴婦人Aの蘇生』(02年)では亡き夫が収集した動物の剥製に刺繍をほどこすミステリアスな伯母が洋館にいる。11歳のからだで成長を止めた少年がからくり人形のなかでチェスを指す『を抱いて象と泳ぐ』(09年)、ママの禁止事項に閉じこめられて生きる三きょうだいの『琥珀のまたたき』(15年)。どれもなぞめいた小さな世界にろうそくの灯がともっているようだ。

 その光はきっと、私たちがしんどいときも照らしてくれる。生きること、死ぬことを安らかに包んでくれる。

 小川さんはこうも言う。自分の小説にでてくる人はすでに死んだ人々だと。死んだ人と会話している気持ちになると。今回も「死んでいる人の世界にちょっと旅をして、彼らの声を聞きとって、そっと蓋をして帰ってきた感じ」と振り返った。

 小さい秋が深まっていく。小箱の蓋をそっと開けて耳を澄ませる。(朝日新聞記者・河合真美江)

AERA 2019年11月18日号より抜粋