長谷川はインタビュー中、「修正」という言葉を幾度となく繰り返した。アイルランド戦での「いいスクラム」は、修正を積み重ねた賜物だった(撮影/写真部・東川哲也)
長谷川はインタビュー中、「修正」という言葉を幾度となく繰り返した。アイルランド戦での「いいスクラム」は、修正を積み重ねた賜物だった(撮影/写真部・東川哲也)

 最前列の稲垣啓太(29)、堀江翔太(33)、具智元(25)が互いに密着し、2列目のジェームス・ムーア(26)とトンプソンルーク(38)がいったん地面に膝をつけながら前衛の尻と尻の間に頭を差し込む。3列目のリーチマイケル(31)、ピーター・ラブスカフニ(30)、姫野和樹(25)も塊につく。選手らによれば、隣同士、前後同士が密着する意識は「4ウォール」で、選手が履くスパイクの前方のポイントを芝に噛ませる感覚は「4ポイント」。長谷川と磨き上げてきたシステムを首尾よく遂行し、ぶつかる。

「いるよ! いるよ!」

 ヒーリーと対峙する具は、左隣の堀江が「ずっとついているから勝負してよい」との意味で連呼するのを聞く。背中と地面を平行に保つ。大きな塊を切り裂いた瞬間だ。

 笛が鳴る。

 反則を犯したのは、アイルランド代表だった。

 ムーアも、姫野も、普段は大人しい具も叫んだ。稲垣は、スクラムを組まない味方選手からの祝福を、精悍な顔つきで受け止める。

「大変なことをやりよったな」

 長谷川が即座にそう感じたのは、この1本が未来に与える「意味」の大きさだ。このシーンの前後で反則を与えたのを悔やみながらも、「スクラムで相手ボールは不利、と言わせないスクラムを組んだ」ことに手ごたえをつかんだ。長谷川が言う。

「これが、今後の日本のスクラムの基準になりました。しかもあの時のフォワード、皆ええ顔をしていたでしょう。こういう時は、強くなる。いい文化ができたと思いました」

スクラム番長の渡仏

 長谷川は京都府出身。日本代表の「スクラム番長」として99、03年のW杯に出場。現役生活を過ごしたサントリーを10年9月に退社。11年からヤマハでプロコーチを始めるに際し、フランスへ渡った。当時の同国代表は、最前列の選手が日本人選手とそう変わらぬ体格。なのにスクラムが強かった。

 そこに、興味がわいた。

「自分のコーチングの限界もわかっていたので、新しいものを探しに行きました。いろんな人が“フランスのスクラム、フランスのスクラム”と言いますが、実際にあるのは、それぞれの“チームのスクラム”だったんです。チームに昔からいる人がいれば、脈々と受け継がれている言葉もあり、行く先々で教えはバラバラだったんです。これらを全て聞いて、いいと思った部分を引っ張り集め、それにアレンジを加え、僕のオリジナルを作ろうというイメージでした」

 この頃から、日本代表のコーチを目指していた長谷川は、現在に通じるシステムでヤマハをスクラム王国に育てる。代表チームに加わると、選手たちにこう問いかけた。

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