日比谷野外音楽堂(2014年撮影、朝日新聞社)
日比谷野外音楽堂(2014年撮影、朝日新聞社)
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  東京・日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)が施設の老朽化のため、2024年度以降に建て替えられることが決まった。「ロックの聖地」とも呼ばれる“野音”のニュースに驚いた音楽ファンも多いだろう。数々の伝説を改めて振り返ってみた。

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 1923年7月に開設され、今年で100周年を迎えた“野音”は、日本初の大規模野外音楽堂。旧・東京市によって整備され、音楽界、野外演劇など、市民の娯楽の場所として発展した。

 太平洋戦争後は、フォーク、ロックなどのコンサートが増加した。1969年には初の本格的ロックイベント「10円コンサート」が開催(正式名は「ニューロック・ジャム・コンサート」。入場料が10円だった)。

■ザ・ブルーハーツ、初の野音ワンマンで生まれたヒロトの名言

 その後も、矢沢永吉率いるキャロルの解散コンサート(1975年。演出で使用した爆竹の残り火がステージセットに燃え移るハプニングも)、キャンディーズの解散宣言(1977年)、豪雨のなかで行われ“雨の野音”を強く印象付けたTHE MODSの公演(1982年)、反核フェス「アトミックカフェ」における尾崎豊の骨折事件(1984年)など数々の伝説の舞台となった。

 1987年には、当時人気絶頂だったパンクバンド、ラフィンノーズの公演で観客がステージ前に駆け寄り、多くの人が転倒する事故が発生。3人が死亡する痛ましい事態となった。

 この事故の後、コンサートの警備が強化。野音で行われる公演には鉄製の柵が置かれ、多くの警備員が配置されることに。同年7月に行われたザ・ブルーハーツの野音ワンマンで、甲本ヒロトが盛り上がる観客に向けて放った「どうやらこの鉄の檻(おり)は、人の心までは縛れんようじゃな!」というMCも、野音の歴史に刻まれる名言だ。

■RCサクセションが愛した野音のステージ

 数多くの名演・熱演が繰り広げられてきた日比谷野外音楽堂。個人的にもっとも印象に残っているのは、ロックバンド・RCサクセションの野音ライブだ。ボーカルの忌野清志郎、ギターの仲井戸麗市を中心としたRCサクセションが初めて野音でライブを行ったのは1981年。以来、1990年まで“夏の野音ライブ”を続けた。

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忌野清志郎&仲井戸麗市の伝説のライブ