写真はイメージ(GettyImages)
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  筆者が初めて野音でRCを観たのは1990年9月8日。同じ日に代々木公園で行われたBO GUMBOSのフリーライブを途中まで観て、原宿駅から電車で日比谷に向かおうとしたら地下鉄が止まっており、慌ててタクシーを拾って野音に直行。到着したらすでにライブが始まっていて、清志郎のシャウトとともに楽曲「気持ちE」が聴こえてきた……というのも青春時代の良き思い出だ。

 RCは1991年に活動を休止するのだが、1994年8月13日に“忌野清志郎&仲井戸麗市”として野音ライブを開催。第一部はアコースティック編成で「たとえばこんなラヴ・ソング」「甲州街道はもう秋なのさ」などを披露。第二部はバンドセットで「トランジスタ・ラジオ」「雨あがりの夜空に」などRCサクセションの代表曲を演奏し、ファンを喜ばせた。

 筆者も運よくこのライブのチケットを入手。うるさいほどの蝉の声に包まれた野音に清志郎とチャボ(仲井戸のニックネーム)が笑顔で登場したシーンは、今もはっきりと覚えている。もちろん「よォーこそ」からはじまる、ライブ定番曲を網羅した圧巻のステージも。清志郎は2009年に逝去。この二人がRCのナンバーをまとめて演奏する機会は、1994年の夏の野音が最後となった。

■100周年を迎え、建て替えとなる日比谷野外音楽堂

 この会場で30年以上ライブを続けているエレファントカシマシをはじめ、SION、EGO-WRAPPIN’、SHISHAMOなど野音ライブを“恒例”にしているバンド、アーティストも多い。最近は若手バンドの登竜門的な役割もあり、今もなお音楽シーンのシンボルとして存在し続けている。官庁街のすぐそば、ビル群に囲まれたちょっと不思議な空間で、のんびりとライブを観ることを毎年の楽しみにしていた音楽ファンも多いはず。“雨が降っても楽しめる”“会場でアルコール類もOK”というおおらかさも野音の魅力だろう。

 老朽化に伴う建て替えは仕方がないとしても、野音の雰囲気がちゃんと残されるのかどうか、若干の不安があるのも正直なところだ。東京都建設局では「都立日比谷公園大音楽堂の再整備に関する基本方針」を策定し、野音ならではの開放感を維持することを前提に、ステージ上および観客席前方に屋根を設置、施設の利便性を高めるために控室やバックヤードなどの機能拡充を図ることなどを挙げている。できればあの独特の風情を残しつつ、最善の形で野音が存続することを願ってやまない。

(森 朋之) 

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