大学にはアドミッションポリシーに従い、入学者を決定する権利があります。自治の根幹を成すもので、当然義務も伴う。共通テストへの不安と混乱が増すなか、「自分たちにできることは何か」。主体的にひとりひとりの「受験生保護」の観点と向き合い、考え判断することこそが、各大学の果たすべき責務です。

 東北大の学生は、公立高校出身者が多いのが特徴です。地域のなかには、センター試験を受けるために、学校がバスをチャーターし宿泊の手当てをするところもあります。経済的に恵まれているとはいえない生徒たちにまで、英語民間試験のさらなる負担を一律に強いることは妥当でしょうか。生まれ育った環境に関係なく、自分の能力や努力で上を目指していける。そんな「希望」を持てることは非常に大事で、東北という地域の希望にもつながる。それには前提となる「公平性」が不可欠です。

 今の入試改革で「公平性」や「受験生保護」の大原則と引き換えに、優先されているものは何でしょうか。社会の価値観のひずみが、今ある混乱を生み出しているとも思います。私たちがそんな社会を望んでいるのか。国民的な議論が必要です。

(構成/編集部・石田かおる)

AERA 2019年9月16日号

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