3位 渡辺守綱 / 敵の追撃を軽く一蹴した「槍半蔵」
猛将の第3位は、武芸が満点で、合計89点を獲得した渡辺守綱だ。
16歳のときから家康に仕え始め、永禄五年(1562)の八幡の戦いでは見事な殿役と槍さばきを見せたことから、「槍半蔵」と呼ばれる。
三河一向一揆に際しては門徒側に与したが、一族ともども赦免を得てからは再び槍を振るって活躍を見せた。長久手の戦いでは豊臣秀次軍に迫られると、旗本本営の足軽頭として、鉄砲による迎撃と豊臣本陣をすでに破ったという偽情報の硬軟の合わせ技により、秀次軍の撤収を誘った。
関東入国に際しては武蔵国比企郡に2000石を与えられ、足軽50人の頭ともなった。
慶長五年(1600)の上杉討伐に際しては多年の軍功への褒美として家康から南蛮鎧を与えられ、足軽の人数も100人に増加。関ヶ原の戦い後には騎馬同心30人分の給米として6000石の加増を受ける。家康の九男義直が尾張藩主に封じられると、その付家老に転じ、大坂の陣において義直の初陣を後見して、その使命を全うした。
最終的な石高は1万4000石で、居城は寺部城。嫡系の子孫は幕末まで尾張藩家老の職を世襲している。さらに、複数の分家も旗本として存続した。
※週刊朝日ムック『歴史道 Vol.25 真説!徳川家康伝』から抜粋