全国高校野球選手権大会決勝の履正社戦で力投した星稜の奥川恭伸=阪神甲子園球場 (c)朝日新聞社
全国高校野球選手権大会決勝の履正社戦で力投した星稜の奥川恭伸=阪神甲子園球場 (c)朝日新聞社
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 今年も全国をわかせた全国高等学校野球選手権大会。決勝戦で戦った履正社(大阪)と星稜(石川)の一線を、ノンフィクションライター・柳川悠二が振り返る。

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 101回目となる全国高等学校野球選手権大会の決勝前日、星稜(石川)のエース右腕、奥川恭伸は「勝っても負けても、試合が終わってスタンドに挨拶に行く時には、泣いていると思います」と笑っていた。

「必勝」ではなく「必笑」。星稜は常に笑みを絶やさないことをチームスローガンに掲げ、奥川も白い歯を見せながら白球を投じてきた。

「それが星稜の伝統ですから。試合中、暗い雰囲気のチームには勝利の女神がほほ笑んでくれない。野球って楽しいスポーツなんだなって、小学生たちに思ってもらえたら」

 2年春の選抜から4季連続で甲子園に出場した中で、奥川のベストピッチは今春の1回戦だった、と筆者は思っている。

 無駄な球がほとんどなく、150キロ台の直球で打者の懐を攻め、高速のスライダーを四隅に集めた。押すところは押し、引くべきところは引く。そうした大人の投球で17三振を奪い、被安打はわずか3。試合後、「スライダーが消えた」と対戦した打者が口々に語っていたのは、駒大苫小牧時代の田中将大を想起させた。

 この時の相手こそ、大阪の履正社だった。同校とは6月の練習試合でも対戦し、奥川は6回を投げて4安打に抑えていた。

 ところが、3度目の対戦となった決勝では全体的にボールが浮き、低めの変化球をことごとく見極められた。今大会から決勝の前日が休養日にあてられたが、5日前の3回戦で165球を投げ(23奪三振)、2日前の準決勝でも87球を投じた疲労はやはり隠せなかった。単純に登板間隔や球数で投球疲労の度合いを推し量れないところが、甲子園の戦いの難しさだ。

 1点を先制した直後の3回表、奥川は二死から「最近では記憶にない」という2者連続の四球を与えてしまう。次の打者、その初球──。

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