――お生まれは?

 京都です。京都御所の南側の呉服屋で、11歳上の兄がいました。父は中2のときに亡くなりましたが、母がすごくしっかりした人で、私が経済的に苦労することはありませんでした。

 中学のときは「京大に行く」って言っていました。卒業するころ、2年先輩のサッカー部の人と付き合う夢を見て、私から直接電話して「そういう夢を見たので、付き合ってくれますか」と言ったら、お付き合いが始まった。彼が筑波大学の体育専門学群に進学したので私も筑波大を受けたいと言うと、母が「都落ちや」と大反対。私はハンガーストライキに入り、近所の人が母を説得してくれて、何とか受験を認めてもらいました。

 子どものころからお医者さんが好きで、消毒のにおいも好きで、医学にすごく関心があったんですけれど、母に「浪人は絶対認めない」と言われたので、医学部は危ないかもと思って生物にしました。

――筑波大は学部名が独特ですが、第二学群生物学類を卒業されたんですね。

 はい。3年生から医学専門学群で勉強できたので、社会医学系の食中毒の研究室に行って、卒業研究は腸炎ビブリオの毒性研究をしました。そのとき、法医学の先生が動物実験のやり方を教えてくださって、それで私も「解剖をやりたい」と言って司法解剖のお手伝いをするようになりました。

 死因や死亡推定時刻そして凶器など、限られた時間で答えを出さなければならない司法解剖にすごく魅力を感じて、大学院は法医学に進みたいと思いました。ところが修士課程がなかったので、2年後に法医学に行くという約束で解剖学教室に入りました。そうしたら解剖の教授が私をすごくかわいがってくださって、「研究を続けていくにしても結婚はしたほうがいいだろう。どんな男性が好みか?」って。

――ええっ?!

 何て答えたのか忘れましたが、そのとき紹介してくれたのが1人目の夫です。

――「1人目」ですか。高校時代に付き合っていた彼氏は?

 広島大学の大学院に進んだので、私が学部4年のときに私から別れを告げました。

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博士1年の時に結婚。出会いは?