解剖学の先生は私に父がいないこともご存じで、結婚したほうが母も安心するだろうと思われたんでしょう。「野口君に言っておいたから」と。医学専門学群の学生で、バスケット同好会に一緒に入っていた人だったので「ああ、あの人ね」と思いました。ところが、全然、何の連絡もない。ある日、病院の廊下で会ったので、つかつかと寄っていって「どうして私をデートに誘わないんですか」と言ったら、「は~、すみません、失礼しました」って。東京で米国のプロバスケットの試合があるから見に行きませんかって誘ってくれました。
あのころは付き合ったら結婚するのは当たり前という感じで、1年ぐらいお付き合いしたら彼がちゃんとプロポーズしてくれて、博士1年のときに結婚しました。
私は念願の法医学に入ったばかりで、まだ学生ですし、「子どもはいらない」と言っていたんですけど、彼は「子どもは欲しい」と。彼の実家は神奈川県横須賀市の久里浜にあって、義母は近所の子どもたちを集めて面倒を見るのが好きな方で、共働きのご家庭の子どもを預かることもしていた。「お袋が面倒見てくれるって言っている」と言うので、それならと博士2年の8月に長女を産みました。
>>【後編:「一国の主にならないと」と1人目の夫が後押し 同志社大教授、女性生命科学者64歳の人生ドラマ】に続く
野口範子(のぐち・のりこ)/1958年、京都市生まれ。筑波大学第二学群生物学類卒業、同大大学院医学研究科博士課程修了、医学博士。帝京大学医学部助手、東京大学工学部助手、同大先端科学技術研究センター助手などを経て2005年に同志社大学工学部教授。2008年から同大生命医科学部教授、2018~2019年に生命医科学部学部長・研究科長、2020年から研究推進部長。京都市教育委員会の教育委員を2018 年から務める。創設したサイエンスコミュニケーター養成副専攻では、同志社大卒の作家・佐藤優氏に15回のフル講義「サイエンスとインテリジェンス」を担当してもらっている。