

「男の世界」と言われてきた古典芸能で活躍する女性が増えている。能や義太夫の道を極める女性たちは、どのように花を開かせたのか。
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「一生、舞台に立てないかもしれない。捨て石になってもいい覚悟ならばやりなさい」
観世(かんぜ)流能楽師の鵜澤久(うざわひさ)さん(69)は25歳の時、師事した故観世寿夫から最初にこう言われた。厳しい言葉だったが、世阿弥(ぜあみ)の再来といわれた師に習う喜びが上回った、と振り返る。
能楽師の父のもと、3歳で初舞台を踏んだものの、「男の世界」である能の道に進むことを反対されていた。実際、所属する銕仙会(てっせんかい)の舞台に立てたのは、それから26年後のことだった。
室町時代の成立以来、能は主に男性の身体と声で演じられてきた。何より大切なのは、深い息遣いだという。体得するには稽古しかない。同時に、女性能楽師だけで地謡(じうたい)を担う公演を足かけ10年、5回にわたって催すなど、底上げも図ってきた。40年余りの地道な取り組みの末、いま、同じ道に進んだ長女の光(ひかる)さん(40)は、銕仙会の舞台を20代から踏んでいる。
昨年、40回目を迎えた観世寿夫記念法政大学能楽賞を女性能楽師として初めて受賞。「性別を超えた独自の芸境に達している」と評された。『能楽入門』などの著書がある氷川まりこさんは「高い意識と技量を持つ久さんの登場で、能楽の世界がさらに開けたことは間違いない」と語る。鵜澤さんは言う。
「能は演劇だ、と寿夫先生は言われました。それはどういうことなのか、自分の身体を通して一生、追求していきたい」
時代は下って、義太夫は江戸時代前期、竹本義太夫によって生まれた浄瑠璃節の一種だ。女性が演奏する義太夫を女流義太夫と言い、明治時代には「娘義太夫」と呼ばれ、アイドル的な人気を誇った。
現在の女流義太夫を牽引する人間国宝の竹本駒之助さん(83)は故郷・淡路島で才能を見いだされ、14歳で竹本春駒に入門。内弟子修業を耐え、18歳の時にのちに人間国宝となる四世竹本越路太夫(こしじだゆう)に師事する。「女だと思わない」と言われ、男性と同様の厳しい稽古をつけられた。