「ボールが上がって、こっちに飛んできましたが、捕れるほど近くはないだろうと思いました」とインコーバイアさん。「アダムが右隣で『とりに行け!』と言っているのが聞こえました。でも人を押しのけたり、飛び越えたりして捕るなんて絶対に嫌でした」
ボールは人だかりができていたインコーバイアさんの左側の通路階段に落下した。インコーバイアさんは足元に転がってきたボールを拾った。顔を上げると、後ろの席に座っていてさっきまで雑談していたという当時9歳のマシュー・グティエレズくんと目が合った。
すかさずボールをマシューくんのグラブに入れて、優しく背中をたたいた。
「大谷のボールだということは分かっていましたが、ボールをあげることが正しいことだと心の中で分かっていました」とインコーバイアさん。「男の子もボールを大谷に返してしまいましたが、それでも僕よりずっと喜んでいたはずです」
インコーバイアさんがボールを拾うのを見たジーアックさんは、当然のことながら興奮していた。
「『これはすごいことだぞ! ボールはどこ?』と聞くと、『あげちゃったよ』と言うんですよ」とジーアックさん。
「信じられなくて、ポケットに入れたんだろうと思いました。でも『本当にあげちゃったんだよ』と言うので、『お前、自分が何やったか分かってるのか』と言いました。正直、しばらくの間は、クリスがボールをあげてしまったことに腹を立てていました。あれは球史に残るボールだからです。でも試合の中盤くらいに、球場が静かになった時に、マシューくんが、お父さんに『人生で最高の日だね』みたいなことを言ったのが聞こえたんです。それを聞いて気持ちが楽になりました。自分が9歳の時にインディアンズの試合で、あんな思いをしたら最高だったはずですから」
エンゼルスの地元オレンジ郡で生まれ育ち、物心ついた時からチームのファンだというマシューくんは、年間10試合以上は球場で観戦している。その日は、父親と二人で来ていた。当時はリトルリーグでピッチャー、ショート、レフト、ファーストをこなしていた。