※写真はイメージです(写真/gettyimages
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 メディアに現れる科学用語を生物学者の福岡伸一が毎回ひとつ取り上げ、その意味や背景を解説していきます。いわば「科学歳時記」。第6回は「pro-life 対 pro-choice論争」を解説します。

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 プロ(pro)と言えば、プロフェッショナル、つまり専門的・職業的立場を意味するが、接頭辞として用いると、賛成・支持という意味にもなる。今、米国で大きな議論になっているのは、pro-life 対 pro-choice 論争だ。生命を尊重する側、すなわち人工妊娠中絶反対派と、選択(産むか産まないか)を尊重する側、すなわち人工妊娠中絶賛成派の激しい対立である。

 歴史的に見ると、1960年代から70年代にかけて大きな議論があり、1973年、米国最高裁が、女性の中絶の権利を認める有名な判決(ロウ対ウエイド裁判)を下して以降、pro-choice派が優勢となったが、ここへ来てトランプ政権が保守派寄りの立場を強め、その勢いに乗ってアラバマ州やミズーリー州などで中絶禁止の決議がなされた。pro-life派の最終目標は最高裁判決を覆すことにある。もちろんpro-choice派は猛反発している。

 胎児の生命がどこから人格を持つかは、生命倫理上、最難関の問題である。生物学的に見ると、受精卵が成立した時点で新しい生命が誕生し、以降は連続したプロセスと言えるので、どこかに人工的な線を引いて、生物かどうかを線引きすることはできない。だから究極の生命尊重の側に立てば、どの時点でも中絶は一個の命を絶つことになる。

 しかし、望まない妊娠や犯罪に巻き込まれた場合、あるいは母体が危険にさらされるようなケースでは、中絶の選択肢は社会的に認められてしかるべきだと私は思う。

 一方、脳が死ねばそれを人の死とみなす脳死論の立場に立てば、この考え方を生命の出発点にも適用しうる。つまり、脳が機能するとき、人は人格を持つことになる(脳始論)。脳波が認められるのは妊娠8カ月くらい(胎児はもうかなり大きい)なので、これ以前をヒトとみなさないという考え方が成り立つ。

 日本は、母体保護法で妊娠22週未満の中絶を認めている。つまり日本はpro-choice 国である。この問題は、出生前遺伝子検診技術の進歩と絡んで論点が多いのでまた機会を改めて論じたい。

◯福岡伸一(ふくおか・しんいち)
生物学者。青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授。1959年東京都生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授を経て現職。著書『生物と無生物のあいだ』はサントリー学芸賞を受賞。『動的平衡』『ナチュラリスト―生命を愛でる人―』『フェルメール 隠された次元』、訳書『ドリトル先生航海記』ほか。