田辺聖子さん (c)朝日新聞社
田辺聖子さん (c)朝日新聞社
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 作家の田辺聖子さんが91歳で亡くなった。

 結婚せずに働く女性をオールドミスではなく「ハイミス」と呼び、エールを送った。家庭での人間関係、さまざまな恋愛を描いただけでなく、シニア女性に光を当てた姥桜シリーズや、中年男性を主役にしたペーソスあふれる短編群もある。夫・川野純夫氏が登場するエッセーも人気だった。人間の心理を怜悧に見つめながらも、ユーモアや救いを忘れない、温かな筆致は田辺さんの人柄から生まれたものだ。

 古典の知識をいかした現代語訳や、作家・吉屋信子、川柳作家・岸本水府らの評伝など、緻密な取材に基づいた著作も残している。

 2007年、筆者がポプラ文庫の立ち上げ編集長を務めたとき、「田辺さんの短編小説コレクションを出したい」と考えた。テンポのよい会話のやりとり、鮮やかな終わりかた。田辺さんの短編は小説を読む喜びを堪能させてくれる。そのころ、田辺さんの短編は文庫では読みにくくなっていたが、これまでにない編み方をすれば、新たな読者を得られるのではないかと思ったのだ。

「田辺聖子コレクション」(5巻)を手がけた際、田辺さんから伺ったお話から、印象的な言葉を紹介したい。

 伊丹空港からタクシーに乗って、十数分。静かな住宅街に田辺さんの自宅はあった。

「小説はどんなふうにでも書けるけれど、『かくあらまほしい』ものを書きたいという気持ちが、心の底にあるのね」

 初めてお目にかかった時、田辺さんはそう言った。

「恋愛」「大阪弁」「終わった恋」など、テーマごとに編み直したコレクションを出したいという希望を、田辺さんは鈴のような声で笑って、喜んでくれた。

「私は会社の乗っ取りも知らないし、浮世をしのいでいく知恵もない。大きな話よりは家庭の中の小さなこと、ごく身近なことしか発想できないから、いつも細々としたお話になっちゃう」

「でも、人生って、結局はささやかなものから成り立っていると思うのね。人が生きていくうえで一番大事なことは、いつも横にいる人と上手くいく――ということ。私はもっぱら、家族構造専門ですけど、家庭の出来事にも、目には見えない人間の大きな意味があると思うんです。大きな事件が起こらない『ただごと小説』だからこそ、気をつけるべきは台詞がマンネリにならないことね。日常レベルの台詞でも、つまらなく書いてはだめ」
 
 生家は大阪市の写真館。ハイカラでモダンな文化の中で生まれ育った文学少女は、太平洋戦争が始まると、大好きだった中原淳一の絵を缶にしまい、熱心な愛国少女になっていく。

 その様子は自伝的エッセー『欲しがりません勝つまでは』にくわしい。

「大きな国の歴史は記録されても、庶民の暮らし、とくに子供たちがどんな生活を送っていたのかは忘れられてしまう。だから書き留めておくべきではないかと思って、私の十三歳から十七歳までの経験を書いたのがこの本です。大きな声で意見を言えずにいた立場の人たちの気持ちを、覚えている限りは書くのが物書きの仕事だと私は思うの」

 芥川賞を受賞した『感傷旅行 センチメンタル・ジャーニー』は、共産党員の男に恋する女友達を見守る青年の物語。その2年前に書かれた『大阪無宿』にも、労働運動のエピソードが登場する。田辺さんは日常の細やかさを描くと同時に、歴史や社会の動きも見つめていた作家だった。

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「それじゃ可哀想」の理由