改革の中で就任したオヘア監督には、芸術性と市場性の精妙な見極めが求められた。そんなバレエ団にとって、観客を沸かせる緻密なテクニックと、舞台への真摯な姿勢を身につけた日本人ダンサーは、欠くことのできない人材なのだ。

 オヘア監督がプリンシパルに任命した高田は、ロシアの名門、ボリショイ・バレエ・アカデミーに学んだ後、ロイヤルの研修生を経て同団に正式入団した。

「ロシアバレエも魅力的ですが、ロイヤルで演劇性を重視したストーリーバレエを踊ることが私の夢でした。自分が望んだ場にいられて幸せです」

 そう語る高田の口調は柔らかだが、日常はストイック。誰よりも早く稽古場に入り、最後に帰る習慣は、今も昔も変わらないという。

 世界を見渡すと各国トップレベルのバレエ団で主役を務める日本人ダンサー、とりわけ女性の「バレリーナ」は前世紀から飛躍的に増え続けている。所属先もパリ・オペラ座やアメリカン・バレエ・シアターなど、かつては「夢のまた夢」といわれた世界最高峰の扉が、彼女たちによって続々と開かれている。

 歩みは60年代、昭和の高度経済成長期に登場した森下洋子(70)から始まった。森下がバレエ衣装のチュチュを身にまとった姿は、欧米文化の粋が凝縮した形ともいえ、当時の少女たちにバレエへの不動のあこがれを植え付けた。

 森下による黎明期が日本人にとっての出発点とすれば、90年代に前出の吉田がロイヤルのプリンシパルに就任し、日本人バレリーナの海外進出が本格化したフェーズがバレエ2.0。世紀が明けると、元ベルリン国立バレエ団の中村祥子(39)、ボストン・バレエ団の倉永美沙、元スウェーデン王立バレエ団の木田真理子(35)ら、欧米の名門でプリンシパルを務める日本人バレリーナが輩出し3.0に。そこから高田、オーストラリア・バレエ団の近藤亜香(28)、パリ・オペラ座のオニール八菜(26)ら、90年代以降に生まれた3.5世代の活躍が加速していく。

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