実際に訪れてみて驚くのは、その開放的なつくりだ。
ボブさんのいちばんお気に入りの場所で、子どもの頃は走り回って遊んでいたという1階部分は山側にしか壁がなく、ワイキキ一帯を見下ろせる庭につながる側は、開け放たれている。長いひさしが光を遮るので、エアコン要らずで、ハワイの心地よい風が通り抜ける。室内は暗めで、だからこそ森と一体化しているような感覚になる。こうした空間設計こそがオシポフ建築の特徴だと言われている。
2階に縁側まであるのは、オシポフが日本で暮らした家の記憶があったのだろうか。
作り付けの家具もほとんどがオシポフ自らデザインしたもので、その細かな作りを実現するために、日本人の大工が呼び寄せられたという。
「完璧主義者で、なんでも最上級のものにこだわる人でした」とボブさんがオシポフ氏の印象を語る。
リジェストランド・ハウスは見学だけでなくミーティングやパーティー、撮影などでも使えるように公開されている。こんなドリームハウスに自分が生まれていたら、一般に公開などせずに独り占めしたいと考えてしまいそうなものだが……。
「変わらず人々に使われているからこそ、家が生かされている。私はそのことを幸せに思っています」(ボブさん)
もう一人の人物は、ドリス・デュークという女性だ。12年にニューヨークで生まれた彼女は、タバコ王として知られるジェームズ・ブキャナン・デュークの娘で、12歳で父が亡くなり遺産を相続すると「世界一裕福な少女」と呼ばれ有名になった。
彼女がダイヤモンドヘッドの麓に建てた理想の邸宅が「シャングリラ」だ。
22歳の時に新婚旅行で世界一周。その途中、中東で出会ったイスラムアートに魅了され、最終目的地で寄ったハワイがお気に入りの地に。結婚は長く続かなかったが、ハワイとイスラムアートへの情熱は消えることがなかったという。
80歳で亡くなるまで、エジプト、モロッコ、シリア、イランなどに自ら足を運んでは美術品を買い付け、時には特注で作らせ、この理想の邸宅をアップデートし続けた。所有する家は他にもあったが、パパラッチから逃れ、お忍びで訪れては、大好きなアートと気の許せる友人たちに囲まれながら過ごしたそうだ。
建物の質素な外観に反して、中に一歩足を踏み入れると、そこはまるで異世界。床から天井まで、緻密な幾何学模様やアラベスク模様に囲まれる。そのコレクションは2500点に上り、国宝級の貴重なものも多い。
一人の女性が人生をかけて作り上げた理想郷。息をのみ、呼吸するのをしばし忘れるほどの迫力と美しさに、浸ってみてほしい。(編集部・高橋有紀)
※AERA 2019年5月20日号