娘を殺した母親は私かもしれない──。読者の心に突き刺さる角田光代さんの小説『坂の途中の家』。柴咲コウさん主演でドラマ化される。二人にこの作品に込めた思いを聞いた。
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ドラマ「坂の途中の家」は、乳幼児の虐待死事件の裁判員裁判の補充裁判員になった里沙子が主人公。裁判の証言を聞いていくうちに、同じように幼い子を持つ里沙子が、子を殺した母親の境遇に自分自身を重ねていくストーリーだ。
柴咲コウ(以下、柴咲):最初に脚本を読んだとき、すごくおもしろい! と、没頭して読んでしまいました。
角田光代(以下、角田):こんな役を演じるのは嫌だな、とか思いませんでした?
柴咲:全然なかったです。この作品は裁判員制度を通して、ネグレクトや家庭に内在するハラスメント的な問題などが浮き彫りになる。すごく深くて重いテーマなんですが、難しさよりも、自分の中にどんどん響いてきました。
角田:柴咲さんが演じられた里沙子は、内にこもるタイプで、言いたいことも言えずにためこんで、爆発すらできないような人物。実は里沙子を書きながらイライラしてました(笑)。
柴咲:確かに、私も演じながらちょっとイライラしました(笑)。私はあまりためこまないタイプなのですが、20年以上この仕事をしていると、言いたいけれど言っちゃいけないことも出てくる。そういう意味では似ているのかなと。
角田:里沙子って割と夫の言いなりになってますよね。自分で考えるより先に、夫に言われたことを自分の意見だと思ってしまう。そういう女性は嫌だなと思うんですが、でもなんで里沙子が嫌だと思うかというと、自分もそういうところがあるからなんだろうなと思うんです。
柴咲:里沙子の気持ちも分かります。夫はモラハラ気味だし、実の親との関係性も距離がある。そんな環境で、たとえば子育てのことで勇気を出して相談してみて、何か否定的なことを言われたら、孤立しちゃうだろうなと。誰かが味方になってくれないとつらいだろうなと思います。