「身につまされますよねぇ」と言っていた後輩は、その後アメリカに渡って自分のキャリアと人生を開拓していったが、声をかけてきたその女性は30年たった今、何をしているだろうか。

「その、声をかけた方の気持ちは、痛いほど分かります」と、このエピソードに強く共感したのは、雇均法第1期として、就職ランキングトップの企業に総合職として入社した女性(53)だ。

 同期は男性155人に対し、女性2人。入社前の研修では同期の男性から、「君みたいに、美人でも英語が話せるわけでもない人を、なぜ会社は採用したのかな」と、面と向かって言われ、初っ端から衝撃を受けた。

 会社は男女をできるだけ平等に扱おうと努力していた。それでも当初は、女性総合職だけ制服があり、3カ月後に、その制服が撤廃されると、今度は一般職の女性たちから、はっきりと敬遠されるようになった。

 仕事は激務だった。それ以上に疲弊したのは、営業先の男性から受けた扱い。見下されることは常で、スカートの中に手を入れられるなど、不快な目に遭い続けたが、それでも周囲に相談できる雰囲気はまったくない。やがて体調を壊し、入退院を繰り返すようになって、3年後に退職を決めた。もう一人の同期の女性も、やはり健康を損なって、会社を去った。

「せっかく開かれた門戸を閉じてしまった。そんな悔いが、今でも残ります。ただ、『どのカテゴリーにも所属しない人』として、組織に存在する孤独感は耐えがたかった」

 彼女は言葉を続ける。

「私のような女性は、山ほどいたと思います」

(ジャーナリスト・清野由美)

AERA 2019年4月22日号より抜粋

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