男女雇用機会均等法で誕生した女性総合職。彼女たちを待ち受けていたのは、耐え難い孤独だった――。ジャーナリスト・清野由美氏がリポートする。
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平成時代には、インターネットをめぐる「ビフォー」「アフター」という人類史上の節目があったが、日本の女性における「ビフォー」「アフター」は、何といっても雇均法であった。
「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」=「男女雇用機会均等法」は1985年に制定され、86年に施行。企業は87年に第1期の女性総合職を職場に迎える。
スタートは昭和末期だったが、「職場における男女差別を禁止し、募集、採用、昇進、教育訓練、定年、解雇などの面で男女とも平等に扱う」という前提で社会に出た世代は、まさしく平成の申し子といっていいだろう。
82年新卒の私は雇均法の恩恵に与(あずか)っていない。就職人気ランキングで取り沙汰される会社から、まったく求人がない状況は、当時は「普通」だった。そのなかで、男女同じ条件で募集をかけていた数少ない業界として、出版社に職を求めた経緯がある。
平成元年の89年。雇均法世代の後輩女性たちと一緒に働いていた時、ある小さな会話に驚いた。
「私、第1志望の○○社を最終で落とされたんですよ。くやしーって、夜中に友達と石を投げに行きました」
え、石、投げたの? ではなく、え、そういうとこ、受けられたの? 目の前にいる彼女たちが、商社やら損保やら広告代理店やらと、有名どころの企業を「普通」に併願していたことに、時代の変化と、法律の威力を感じた。
その後輩から聞いた、あるエピソードは、今でも忘れられない。
東京・大手町で彼女が一人、遅いランチを食べていたら、スーツ姿の同年代の女性に「すみません、お仕事していらっしゃる方ですか」と声をかけられた。彼女は有名企業の総合職で「職場では誰とも話せずに、つい……」と、かなり切羽詰まった様子だったという。