「逆に」は「そうあるもの」がそのままではない状態ということ。一見ダメなものが「逆にありだよね~」とかいう風に使われている言葉だ。

「一周して」も、例えば、ダサいものが結局はそのままでも受け止められている状態ということ。そこには「ツッコミ織り込み済み」という“臆病”が存在する。

 右肩上がり神話とは真逆の低成長時代の、「進歩」に対する疑いや、諦めが前提で生まれた言語感覚。進歩が妄信されていた時代には無邪気な公害もあったわけで、その意味では、セクハラなんかは会話の公害問題として、取り締まり対象になって当然だとも思う。しかし、社会の工業化は制限されたけれど、コミュニケーションはまだ合理化に止まっている様だ。ようやく均質化されたぐらいじゃないだろうか。ならば、次なる時代は、一周して「雑」を目指しては? と逆に思うのである。

 こんな私は上から目線ですか?

AERA 2019年3月4日号

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