作家の井上荒野が、父・井上光晴と母・郁子、そして光晴の愛人だった瀬戸内寂聴をモデルにした長編『あちらにいる鬼』を上梓。不思議な三角関係について、瀬戸内寂聴と語り合った。
* * *
瀬戸内寂聴(以下寂聴):この作品を書く前、もっと質問してくれて良かったのよ。
井上荒野(以下荒野):『あちらにいる鬼』はフィクションとして書こうと思ったので、全部伺ってしまうよりは想像する場面があったほうが書きやすかったんです。
寂聴:そうでしょうね。荒野ちゃんはもう私と仲良くなっていたから。そもそも私は井上さんとの関係を不倫なんて思ってないの。井上さんだって思ってなかった。今でも悪いとは思ってない。たまたま奥さんがいたというだけ。好きになったらそんなこと関係ない。雷が落ちてくるようなものだからね。逃げるわけにはいきませんよ。
荒野:本当にそうだと思います。不倫がダメだからとか奥さんがいるからやめておこうというのは愛に条件をつけることだから、そっちのほうが不純な気がする。もちろん大変だからやらないほうがいいんだけど、好きになっちゃったら仕方がないし、文学としては書き甲斐があります。大変なことをわざわざやってしまう心の動きがおもしろいから書くわけで。
寂聴:世界文学の名作はすべて不倫ですよ。だけど、「早く奥さんと別れて一緒になって」なんていうのはみっともないわね。世間的な幸福なんてものは初めから捨てないとね。
荒野:最近は芸能人の不倫などがすぐネットで叩かれますが、怒ったり裁いたりしていい人がいるとしたら当事者だけだと思うんですよね。世間が怒る権利はない。母は当事者だったけれど怒らなかった。怒ったら終わりになる。母は結局、父と一緒にいることを選んだんだと思います。どうしようもない男だったけど、それ以上に好きな部分があったんじゃないかって書きながら思ったんです。
寂聴:それはそうね。
荒野:母は父と一緒のお墓に一緒に入りたかった。お墓のことはどうでもいい感じの人だったのに。そもそも寂聴さんが住職を務めていらした天台寺(岩手県二戸市)に墓地を買い、父のお骨を納めたのも世間的に見れば変わっていますよね。自分にもう先がないとわかったとき、そこに自分の骨も入れることを娘たちに約束させました。