タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。
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ツイッターのタイムラインに、あるツイートが流れてきました。800余りもリツイートされているその内容は、一人の研究者の死に関するものでした。
3年前に急逝したというその研究者は1972年生まれ。私と同い年です。受賞歴もあり、人文系の気鋭の研究者として将来を嘱望されていたにもかかわらず、大学の非常勤講師の職を失い、困窮に耐えながら20もの大学に応募したものの叶わず、私生活の労苦も重なって心を病み、自死を選んだとあります。
「こんな酷い話があるのか」と怒りをにじませたそのツイートは、故人を知る研究者によるもののようでした。
亡くなった方の名前を見つめているうちに、ある記憶が蘇りました。はにかんだような笑顔と、少し大人びたボーイッシュな佇まい。検索すると、小学生の頃の面影を残したポートレートが表示されました。
卒業アルバムを開くと、図工クラブで並んで笑っている12歳の私たちがいました。絵を描くのが好きだった彼女。その後どんな進路を選んだのかを、地元の中学に進学しなかった私は知りませんでした。34年間も忘れていた同級生を思って泣くなんて身勝手だけれど、悔しくてならない。なぜ彼女が、研究に邁進し周囲からも期待されていたのに、報われずに人生を終えなければならなかったのか。昨年秋には、九州大学元院生が焼身自殺しました。彼も72年生まれでした。
中には「採用されないのは、需要を得る努力をしなかったからだ」と言う研究者もいます。需要ってなんだ。誰のための学問か。大学改革とか経営努力とか、実務に役立つ大学教育とか、人文系はもういらないとか、国や専門家はいろんなことを言うけれど、初めから採用する気もないのに大部の資料を提出させ、読みもしないで突き返すような扱いをされて、いったいどれほどの研究者が心折れているか。算盤をはじいて学問を切り捨てる国に未来はあるのかと、憤りを覚えます。私は彼女の無念を忘れない。
※AERA 2019年2月25日号