未完成だから鋭敏なのだ。ラジオの春樹さんは、誰もが通過した10代の時間の中にいる。ラジオには映像が欠落していて、リスナーは自分をその中に置き、絵を自分なりに補うしかない。リスナーがいないと成立しないラジオは未完成なままだ。そして、リスナーは春樹さんと二人きりになって、声だけの、絵のない、詩のようなラジオの世界をさまよった。
「ここにすべてのヒントがある」。番組を聴いて秋元康さんが言った。「バックグラウンドのある語り。飾り気のない喋りの方がはるかに素晴らしい。人生、考え方、音楽に対する愛情のすべてが突き刺さる。喋りが上手いなんて価値がないと思った」
ロイター、AP、タス通信など海外からも問い合わせが相次いだ。世界の読者も春樹さんの声が聴きたかったのだ。
後日、ニッポン放送に勤めていた親しい友人にこんなことを言われた。
「僕はまだ村上春樹さんに会っていないし、これからも会わないだろうし、会えないだろう。でも、だから永遠の存在。君は会ってしまったんだね」
そんなものかなぁ。そうかもしれない。
この原稿を書いている時、卓上の電話が鳴った。交換の女性が「村上さんとおっしゃる方から外線です」と言った。
「村上です」
あの声だ!
「久しぶり。今からCDを持って行っていいですか?」
「あ、はい。玄関で待ち構えています」
「いやいや、待ち構えられても(笑)。ちょっと時間がかかる」
季節は秋になり、ネルシャツにジーンズの春樹さんが通用門の黒いソファに座っていた。CDを同封した茶色い封筒にボールペンで「村上春樹」と書いてあった。
そして、ターコイズブルーのオープンカーに乗り込むと、今日は天気がいいからと屋根を開け、サングラスをかけてイグニッションキーを回した。
「来週、スタジオでお待ちしています」
私は春樹さんに手を振った。
ところで春樹さんが持ってきてくれたCDが何なのか、今はまだ言えない。次回10月21日放送、「秋の夜長は村上ソングズで」用のものだったから。(ラジオプロデューサー、作家・延江浩)
※AERA 2018年10月22日号より抜粋