そして、15年に開いた読者との交流サイト「村上さんのところ」では、「……そうだ、『ジェット・ストリーム』のまねはできます。声が割に低いので、今度やりましょう。『ジェット・ストリーム』のナレーション、知ってますか?」(二〇一五・二・六)。ラジオ番組を持ってほしいという読者の質問には、「ラジオ、いまのところ出る予定はありません。『ジェット・ストリーム』のナレーションをさせてもらえないかなと思ってますが。村上春樹拝」(二〇一五・三・二四)とユーモア溢れる回答を寄せている。(電子書籍『村上さんのところ コンプリート版』から引用)
そう、春樹さんは、番組開始から半世紀経った「ジェット・ストリーム」のリスナーだったのだ。
もし春樹さんと番組の話ができるなら、レコードをかけながら相談しましょう、と件の編集者と意見が一致した。私はスタジオにある3対のスピーカー(アダム、ジェネレック、イクリプス)を技術担当に頼んでオーバーホールし、フレッシュな音、深い音、どちらも的確に再現する環境を整えた。
季節は冬から春になっていた。
「4月2日11時40分。春樹さん、とうとう来局!」と手帳に書かれた私の字が躍っている。
4月に入って最初の月曜日、よく晴れた日だった。
「はじめまして」。少し低くて優しいバリトンの声だった。
チノパンにスニーカー姿の春樹さんの笑顔にほっとして、「どうですか、スタジオのマイクを通したご自分の声を聴いてみませんか?」と提案した。
山下達郎さんがいつも使っているスタジオに、ターンテーブルと、春樹さんが10代の頃から愛聴してきたホレス・シルバーのLPレコードを用意しておいたのだ。
「これ、『ソング・フォー・マイ・ファーザー』ですね。神戸の高校時代に買ったんですよ。2800円だったかな。60年代だから、今の2万円ぐらいの感じですね。高いでしょ? ガールフレンドと買いに行ったんだけど、女の子って、やっぱりね、レコード屋なんか行っても面白くないのね(笑)。この頃はビートルズやストーンズ。女の子はそっちに行くよね。ラジオでもガンガンかかってた。でも僕がレコードを買うのはジャズかクラシックだった。お昼ご飯抜いて貯金して、1カ月に1枚。失敗すると大変だから研究する。友達に聞いたり音楽雑誌を読んだり、あとはジャズ喫茶で。だからメロディー、アドリブは全部思い出せるし、それが『メートル原器』で自分の基準になっている。そういう基(もと)がないと何を聴いてもわからないじゃないですか。これは甘すぎるとか、きつすぎるとかわかる。それがものすごく大事なんです」