メディアに取り上げられる当事者は、どこか秀でたスーパーマンのような人が多い。見た目問題や障害を抱えていたら、聖人君子でなければならないのか。ドロップアウトは許されないのか。
辻西さんが当たった壁がそれだった。辻西さんは手術を繰り返し、小中高と真面目に通ったが、父を亡くした後、大学を中退した。地元でバイトを探したが、断られる日々が続く。
──人生ってなんですか。
そんなLINEを、患者会のメンバーに送ったこともある。
昨年末、記者と最初に会ったときには、怒りも抱えていた。
「バスで小学生が何回も振り返って、チリ紙を丸めて投げつけてきて、殴ってやろうかと拳を握りしめた。殴るのはダメだからやらなかったけど」
「ジロジロ見られるのはもう諦めている。おれは間に合わなかったけど、次世代のために、せめて子どもには自分らのことを教えてくれたらと思う」
けれども友人の渡邊さんの話になると、笑顔が出た。
「『バンドやるぞ』って、ある日白いベースが送られてきたんですよ」
渡邊さんは当時を思い出して言う。
「本気で音楽活動をというより、仲間と遊べる居場所を作りたかった。おれは辻西は格好いいと思っていて、革ジャンを着てほしくて。シド・ヴィシャスに少し似てるでしょう?」
飄々と語る渡邊さんにも、レールを外れた過去がある。教員免許を取り臨時教員になったが、親の期待が重すぎて、フリーターになった。現在は障害者施設の世話人として働いている。
7月、辻西さんはウーマンラッシュアワーの村本大輔さんが主催したトークイベントに登壇し、自身の思いを赤裸々に語った。自分の症状のこと、道行く人にジロジロ見られること、仕事がなかなか決まらないこと──。
見た目問題と当事者の抱く率直な思いが広く発信された瞬間だった。(編集部・熊澤志保)
※AERA 2018年10月8日号