リオ・パラリンピックで銀2、銅2のメダルを手にした全盲の木村敬一選手(東京ガス)。コースロープに右手をぶつけながらまっすぐ泳いでいく(撮影/加藤夏子)
リオ・パラリンピックで銀2、銅2のメダルを手にした全盲の木村敬一選手(東京ガス)。コースロープに右手をぶつけながらまっすぐ泳いでいく(撮影/加藤夏子)
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 来る東京五輪を前に、パラスポーツの注目度も上がりつつある。しかし盛り上がりを見せる一方で、関係者らは懸念も口にする。

パラスポーツを見るとき、障害のない人たちの多くは「ない部分」に目を奪われてしまいがちだ。そんなときは「パラリンピックの父」と呼ばれるイギリスのルートヴィッヒ・グットマン博士の言葉に触れてみたい。

「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」

 第2次世界大戦で障害を負った軍人たちに向けた言葉だが、見る側も「障害」ばかりに注目するのではなく、残された能力を最大限に生かして挑戦するアスリートの姿に触れると、パラリンピックはさらに面白くなる。

 伊藤亜紗・東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授は著書『目の見えないアスリートの身体論』の中で、障害者スポーツを「障害があってもできるスポーツ」ではなく、「障害があるからこそ出てくる体の動きや戦略を追求する活動」と見なす。目の見えないアスリートたちへのインタビューを通して、彼らが身体の新たな使い方を獲得していく様を浮き上がらせた。

例えばブラインドサッカーでは、目の見えない選手たちが、目が見える人が務めるキーパーと監督、そして相手ゴールの裏にいる「ガイド(コーラー)」の三つの声から立ち位置を探知しているといい、座標軸をイメージしている選手もいるという。

 2歳で失明した競泳の木村敬一選手(東京ガス)は「周囲の状況についてのイメージを頭の中にもたないで泳ぐ」ことから「外に向かう意識のベクトルを極限まで減らして、ただ自分の運動のみに集中すること。(中略)見えないからこその運動の可能性がここにはあります」と述べる。パラアスリートたちは残された能力を生かすどころか新たな能力を獲得しているのだ。

 盛り上がりを見せるパラスポーツだが、関係者らが懸念するのが「2021年問題」だ。パラリンピック後は国の障害者スポーツに関連する予算も削られ、各競技団体を支援している日本財団パラリンピックサポートセンターも21年に閉鎖する。企業などが継続して支援を続けるかも不透明だ。

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