

夏の甲子園第100回大会を記念して、早稲田実業高校出身で北海道日本ハムファイターズに所属する清宮幸太郎が甲子園の思い出を語った。
【写真】第97回全国選手権大会3回戦で本塁打を放った清宮幸太郎
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2006年の夏。早稲田実業対駒大苫小牧の決勝再試合を、当時7歳の清宮幸太郎は甲子園球場の三塁側アルプス席から観戦した。
「決勝の1試合目は自宅のテレビで見ていたんですが、引き分けになったことで家族で『じゃあ、行くか』と。鮮明に覚えているのは最後の場面。斎藤(佑樹)さんが田中(将大)さんから三振を奪って、早実が優勝したシーンには衝撃を受けました」
歴史的な一戦を目撃したことがきっかけとなり、清宮は野球の道へと進んだ。
「自分も甲子園に行きたいという憧れはありました。でも、本当に行けるのか。きっと届かないところなんだろうなあ、と思っていましたね」
リトルリーグ時代には世界一を経験するなど、早くから非凡な才能を開花させていた清宮ではあったが、甲子園は決して身近な存在ではなかった。
しかし、15年の夏。高校1年の清宮はチームの中軸打者として甲子園の土を踏むことになる。西東京大会6試合では打率5割、10打点と活躍した。
「3試合目の日野戦(9対8)をサヨナラ勝ちで乗り越えたことが大きかったですね」
この日野戦まで、都立校とのゲームが初戦から3試合続いた。
「対私立はある程度、試合展開が予測できる。実力もなんとなくわかるし、凄い選手の情報もわかる。でも、都立とは普段、練習試合をやらないですし、向こうからすれば早実にひと泡吹かせるぞと。応援もひとつになってましたし、守っていても勢いが伝わってきて、私立よりやりづらい部分がありました」
清宮なら打って当然。そんな楽観的な声も耳に突き刺さった。
「打てなければ『何やってんの?』と思われるかもしれないですけど、いやいや、と」
本人の戸惑いをよそに、甲子園へと伝播した清宮フィーバー。その中でファン待望の一発が飛び出したのは3回戦の東海大甲府戦。白球は雄大な放物線を描き、超満員の右中間スタンドに吸い込まれていった。