哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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若い人たちがときどき相談に来る。相談というよりは「最後のひと押し」を求めてというほうが適切かもしれない。若い人たちの背中を押すことは年長者の大切な仕事だと私は思っているので、どんな相談ごとでも「やりたいようにやればいい。応援するよ」と笑顔で応じることにしている。経験的に言って、「人生そんなに甘くないぞ。きっと失敗する」と不安がらせるより「大丈夫だよ。うまくゆくよ」と励ます方が、結果的にうまくゆく確率は高くなるからだ。
相談事案のトップ3は「教師になりたい」「医療人になりたい」「地方で暮らしたい」である。若い人たちはなかなかいい感受性をしていると思う。
「天職」を英語では calling あるいは vocation と言う。どちらも「呼ぶ」という動詞の派生語である。どこからか「支援を求める声」が聞こえた人が「お呼びですか?」と応じる。そうやって呼ばれて始めた仕事がやがて「天職」となる。仕事は自分で選ぶのではない。仕事に呼ばれるのだという職業観を私は健全だと思う。
若い人がそこに向かうということは、教育と医療と農業がいま最も切実に支援を求めている領域だからだ。いずれも「それなしでは人間が生きてゆけないもの」であり、そしていずれもが危機的状況に瀕している。だから、そこからの支援を求める声が耳を澄ましている若者たちのもとに届くのだろうと思う。
どれも人間の生身に触れる仕事である。子どもたちの成熟を支援すること、損なわれ傷ついた心身を癒やすこと、人々の飢えを満たすこと。そういう仕事はどのような時代でもそれなしでは済まされないし、携わる人に大きな達成感をもたらす。
2030年ごろにはAIの導入でさまざまな分野での雇用喪失が予測されている。正確な予測は立てようがないが、「忌まわしいほどに大規模な雇用が、恐ろしいほど短期間で失われていくとみなす点ではコンセンサスがある」と「フォーリン・アフェアーズ・リポート」の今月号は伝えていた。
若者たちはおそらく直感的にそれを感知して、決して機械に取って代わられることのない仕事を探しているのだと思う。
※AERA 2018年7月30日号