「今は女性の社会進出や核家族化など社会状況は変わっているのに、実際の中身は、戦前の『母の会』から続く“頭脳は父親、手足は母親”という男尊女卑や、校長や教師の下に置かれる構図があります。さらに、PTAには国に連なる縦の系統が隠されていること、国の意向で使われる存在であることに気づきました」

 PTAは母親にとっての自己実現の場にもなりやすい。会長や書記などの本部役員になると権力をもち、下位に対して圧力をかけることもあるという。

「親睦会の席では、古参者と新参者で座る席が異なり格付けされます。子どもが卒業した後もPTAの活動に残りたがる人もいます」

 一方、明るい話もある。小学校でPTAに関わった東京都内在住の40代女性は、活動の趣旨がわからないまま、軟禁状態で役員決めをする習慣に疑問を抱いた。そこで、自身がPTA会長になった年に同じ志の人をはじめ、改革に賛同していない人も巻き込み、委員会を廃止。できる人ができるイベントにだけ関わる組織に作り替えたのだ。

 母親の悩みの本質は、何のためなのか納得できない会議や作業に対して時間を割かれることだろう。読書ボランティアなど、やりがいを感じるものには積極的に参加している現実もある。

「初めからPTA不要論を書こうと思ったわけではありませんでした。でも、取材し、調べるほど、不要論に結びついていく。強制力を持たず、子どものためにできる人が無理なく行う。そう変わるべきです」

(編集部・小野ヒデコ)

AERA 2018年7月16日号