暗闇に沈む心に光を届けたのは、夫の善啓さん(34)の言葉だった。
「俺、産婦人科医になるよ」
善啓さんは当時研修医を終えて専門科を決める時期にいた。開業医をしている父と同じ内科に進もうと考えていたが、「(亡くなった)2人に『パパこっちだよ』と引っ張られるような不思議な感覚」があり、産婦人科医になった。美咲さんは、亡き娘たちに力をもらって前へ進む夫を見て、自分もあの子たちに誇れる母親になるために生きようと思ったという。
その後、不育症の治療もしながら14年に三女(4)を出産した。子育てが一段落したら、NICUや小児病棟などで患者や家族に寄り添える仕事やボランティアをしたいと考えている。
善啓さんは総合病院の勤務医を経て現在は不妊治療専門の池袋えざきレディースクリニックに勤めながら、杉ウイメンズクリニック(横浜市)の研究員として不育症研究に励んでいる。
「僕たちと同じような思いをするご家族を少しでも減らすことができたらと思っています。経験者として妊娠や出産が思い通りにいかないご家族の支えにもなりたい。仕事をしていると、いまだに2人がすぐそばにいる気がするんですよ」(善啓さん)
琉球新報に掲載された書評(福峯静香さん評)には「産声をあげることのなかった子どもたちですが、その子どもを通して確かに何かを受け取ったご家族の、貴重な気付きを、ぜひ、多くの方に読んで頂きたいです」とあった。美咲さん、善啓さんのように、そうした「気付き」に導かれるように生きている家族は少なくない。
反響は、当事者以外からも届いている。図書館で借りた後、「手元に残しておきたい」と購入し、「できることは何か?を考え優しい想像力を持って生きていきたい」とツイッターで知らせてくれた人がいた。
千葉県鎌ケ谷市の女性(39)は、「お友だちに本を貸したら、『自分の分も買っちゃった。大きくなったら子どもにも読ませたくて』と言われた」。