国民とのふれあいを大切にする皇室と安全を確保するための警備・警護のバランスは、悩ましい問題だ。
昭和から平成の初めにかけて、反皇室闘争によるゲリラ事件が多発した。皇室は、重要な警備・警護対象となった時代であった。昭和天皇の発病から大喪の礼まで、新左翼過激派の反皇室ゲリラは20件以上に及んだ。
標的として狙われた最中でも、皇室は国民とのふれあいを必死に守ろうとしていた。
1985(昭和60)年11月、英国留学から帰国した浩宮さま(当時)が記者会見で、「日本の警備は過剰なのでは」と訴えた。
その意図について、浩宮さまは、こう続けている。
「警備というものは、国民と皇室を隔てるものであってはいけないと考えています」
極秘に運んだ「高御座」
昭和から平成への代替わりの儀式「即位の礼」も過激派の標的になった。
新天皇は「即位礼正殿の儀」で、高御座(たかみくら)に立ち、即位を国内外に宣言する。
準備にあたり「高御座が運搬時に襲撃される」という情報を掴んだ政府は、自衛隊ヘリで京都御所から東京に極秘に運びこんだ。
警察は極左暴力集団や右翼によるテロ、ゲリラ事件を防ぐため秘密アジトの摘発や秘密部隊員の検挙を次々に進めた。それでも、事件は起こった。
即位の礼を前に、東京の2つの警視庁独身寮で爆発が発生し、警察官1人が死亡、7人が重軽傷を負った。また、儀式当日も、35件の同時多発ゲリラが発生。迫撃弾が都心の病院や民家に落下する無差別爆弾テロの様相を極めた。
平成の世に移ってからも、皇室への攻撃は続いた。
天皇や皇太子の地方公務となれば、まず事前に、天皇や皇族方が歩く動線や御料車などが通過する道路まで不審物がないか、地元の警察が厳しくチェックする。
公務当日も、天皇陛下が乗る御料車が通過する道路には、警察官が一定の間隔で立ち警備を担う。
それでも、事件は起きる。
1992年に山形で開かれた国体では、開会式で天皇陛下が「お言葉」を述べる最中に、ロイヤルボックスに向けて発煙筒が投げつける事件が起きた。このとき、美智子さまはとっさに天皇陛下の胸の前に手を出して、陛下をかばう姿勢を見せた。