ただ、経産省支配の「主役」たちが入省するのは、「欧米に追いつけ追い越せ」から、世界第2の経済大国にまで成長した80年代。成長一辺倒から曲がり角を迎えていた。だが、経産省の思考と行動は変化についていけず、周囲とのあつれきを生むことになる。

 84~86年に通産事務次官を務めた小長啓一氏は著書『日本の設計』にこう書いている。

〈通産官僚にとって欠かせない資質は何か。こう問われれば、私は躊躇なく「企画構想力、交渉力、実行力の三つだ」と答える。(中略)通産省がいわゆる「許認可官庁」ではなく、政策官庁、アイデア官庁であるためだ〉

 元通産官僚(79年入省)の江田憲司衆院議員は、こう話す。
「財務省なら予算、文科省なら教育、厚労省なら社会保障などそれぞれ基盤があるが、経産省にはレゾンデートル(存在意義)がない。産業はすでに発展、規制は自由化し、行政指導が必要なわけでもない。新しいものにチャレンジして、存在意義を見いだすしかない。そのため、他省庁としばしば省際戦争を起こし、『ケンカ官庁』とも言われた。評論家の田原総一朗さんは通産省のことを『インベーダー官庁』と書いたように、他人の土俵にのぼって、他人のふんどしで相撲をとるようなものだ」

 元経産官僚の古賀茂明さんは、こう振り返る。
「若い頃から毎年毎年新しい政策を出せと叩きこまれ、たしかに提案力は鍛えられる。安倍さんの岩盤規制を突破する改革路線は、僕ら改革派が作ってきた伝統。ただ、今は『改革』は名ばかりで、予算と役割を得るための単純な成長至上主義に堕落していますね」

 高度成長を支えた人気官庁も、他省庁から「権限も予算もない役所」とさげすんで見られる場面もあったという。

「そうした危機感から、官邸に食い込み、官邸のブレーンとしての役割を担おうとする動きが強くなった。経産省の仕事ではないが、『〇〇省のこの規制を緩和しろ』などと、官邸のシンクタンクとして霞が関で存在感を発揮する。虎の威を借る狐のごとく、総理や官邸の力をバックに省益を拡大してきた」(同)

 そうした意味では、ひとまず願ったりかなったりの体制を構築できたと言える。

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