西部邁さんが今年1月に急逝。ゆかりのある田原総一朗さんと佐高信さんが、西部さんとの思い出を振り返った。
佐高信(以下、佐高):西部さんはかなり情の人で、落魄(らくはく)の人に近づく習性があります。権力との距離の取り方で言うと、第1次安倍内閣退陣後、無聊(ぶりょう)をかこっている安倍を激励していましたが、再び首相になったら一切近づかない。そのあたりは見事でした。
田原総一朗(以下、田原):西部さんが一番信頼していた思想家は『大衆の反逆』のオルテガです。民主主義はポピュリズムで、大衆というものは基本的に自分さえよければいいというものなのだと。大衆を信用していない。それで、民主主義がだめならどんな政治がいいのかと聞いたところ、「賢人政治」と言いましたね。
佐高:西部さんは同調的なインテリも大衆であるとみなしていましたね。東京大学の中沢新一人事を巡る問題で東大教授を辞めましたが、その時も「西部は東大を辞めない。だって東大だぞ」と言った学者がいたそうです。そういう人間も含めて、自分の判断を持たない人を大衆とみなしていた。その時奥さんも、辞職を引き留めた東大教授に「うちの夫がこのチャンスを逃すはずがありません」と言ったそうです。他の人だと東大教授の肩書を簡単には捨てられないでしょうが、西部さんは捨てられる。出処進退は見事ですよ。
佐高:西部さんは黒沢明よりは木下恵介が好きでした。私が黒沢はある種のヒロイズムだから好きじゃないと言ったら一致した。そして、森鴎外より夏目漱石。それと、意外ですが三島由紀夫が嫌い。三島的な派手派手しさを苦手としていたようです。三島よりは太宰(治)ではないか。破滅願望が西部さんにはありました。「西部さんも私も、結局はアナーキストなんですよ」と言ったら、苦笑いしながら「そうかもな」と言っていました。
あと、猥談(わいだん)がお嫌いでした。猥談が始まると「そのへんにしとけよ」とか言うんです。