男子フィギュアスケート平昌五輪代表の羽生結弦選手が、AERAの表紙を飾った。取材される機会の多い羽生選手が、取材記事への思いを明かした。
羽生結弦は取材するのが楽しい選手だ。感情がどう揺れ動き、体がどう動いたのか。素直に、独自の表現で、一気に言葉を紡いでいく。連なるフレーズの中に、その日の演技の良しあしを左右するカギがいくつも出てくる。メモしそびれないように、と緊張し、ペンを握る手に力が入る。
いつから、なぜ、そんなに話をするようになったのか。
「いろいろ頭で考えて、それをそのまま出すようになったのは、取材を受けるようになってから。小学校4年生からなんです。それが僕にとって最終的に生きると思ったんですよ。記事が自分の考えていたことのメモになり、学べるんですよね。そのとき何を考え、何を感じていたか、思い返せる。それは財産であり研究材料であり、これからの自分を強くするものだと思っています。しゃべる機会があるから考えるようになった、というのはすごくあります」
2013年、ソチ五輪シーズン序盤のスケートカナダの後もそうだった。
「いろんなことを話すことで、課題が明確に言葉として出てくる。その記事を見たとき、『こんなに悔しかったんだ』と思い出して、また練習や試合につながる」
負けたとき、ミスしたとき、ふてくされて下を向くようなことはない。超がつく負けず嫌いだから、もちろん悔しくてたまらないはずだ。が、それをかみ締めつつ、次に向けて自分に起きたことを整理する。勝っておごらず、負けて腐らず。スポーツで勝者以上にたたえられるべき「グッド・ルーザー(良き敗者)」のあり方を見せてくれる。
昨年8月、「ソチ五輪前後のインタビュー動画や記事を見ている」と話していた。そして、何が金メダルにつながったのかを確認したのだという。けがをした後の試合にも“財産”がある。平昌五輪には、逆境の中でも調子を合わせてくるはずだ。 (朝日新聞スポーツ部・後藤太輔)
※AERA 2018年2月19日号