赤報隊によるテロで重傷を負った元記者が、この世を去った。後輩を死なせてしまった負い目と、事件の恐怖と闘いながらも、ペンを握り続けた。元同僚のジャーナリスト・辰濃哲郎氏が偲ぶ。
【写真】犬飼さんが上着のポケットに入れていて致命傷を防いだボールペンと財布
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1月27日に放送されたNHKスペシャルで、1987年に起きた朝日新聞阪神支局襲撃事件を発端とする「赤報隊事件」がドラマとして再現された。草なぎ剛主演ということもあって注目されたが、事件に専従した朝日の4人の記者からなる「特命班」を追いながら、時効を迎えてしまった無念さを描いている。
特命班の一員だった私も、取材を受けた。俳優の上地雄輔が私役として熱演してくれたが、どうしても居心地の悪さが拭えない。
散弾銃で撃たれ、右の手のひら3分の1を吹き飛ばされる重傷を負いながらも一命を取り留めた先輩の犬飼兵衛(いぬかいひょうえ)さんが、放送の直前、1月16日に亡くなったと知ったからだ。同じく事件で亡くなった小尻知博記者(当時29)の死と、書き続けることとの狭間に立たされた犬飼さんの苦しみは、私のそれとは比べるべくもない。彼だったらドラマをどう見ただろうと思うと、当時の鬱屈した気分が蘇ってくる。
犬飼さんとは事件の2年前、初任地から転勤してきた阪神支局で知り合った。
私より一回り年上で、無愛想なおじさんだった。上司にもおべんちゃらひとつ言わないうえに偏屈で、いつも難しい顔をして原稿用紙に向かっていた。
86年、大阪本社への転勤が決まった私を、犬飼さんは差し飲みに誘ってくれた。
「最初、あんたのこと色眼鏡で見とったんや」と打ち明けた。
私の父は当時、同じ朝日で天声人語を執筆していたから、周囲の目は、それなりに厳しいものがあった。犬飼さんは、もっちゃりした関西弁で続けた。
「あんたは親父さんと全く違うタイプの記者やな。その調子で頑張りなはれ」
私には、どんな送別の辞よりもうれしかった。その犬飼さんが、阪神支局で凶弾に倒れたのだ。