批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で開催されている「『1968年』-無数の問いの噴出の時代-」展を観覧してきた。ベ平連、三里塚闘争、熊本水俣病闘争、全共闘など、60年代後半に現れた社会運動の意義を問う意欲的な試みである。約500点の資料と詳細な解説で、3時間かけても見切れない充実の展示だった。
半世紀前の運動があらためて注目されるのは、それが現在の市民運動の雛型(ひながた)を用意しているからである。ベ平連代表の小田実の呼びかけは「私たちは、ふつうの市民です」という言葉から始まっている。多様な「ふつう」の市民が、組合やイデオロギーから離れて個人として連帯する。明確な組織を作らず、有志が自発的に集会を開催し、文学や映画など表現者を巻き込んで支持を広げていく。そのスタイルは、近年の反原発デモやSEALDsにそのまま受け継がれている。