とはいえ本質的に変わったところもある。個人的に印象に残ったのは違法行為や暴力への許容度の変化だ。ベ平連は米軍脱走兵を支援するためパスポートを偽造した。全共闘は大学を占拠し火炎瓶を投げた。当時は支持者が多かったようだが、ともにいまなら許容されまい。

 それをエゴへの許容度と言いかえてもいい。展示は、「地域エゴイズム」をあえて押し出した運動として、横浜新貨物線反対運動を紹介していた。公共はエゴを抑圧してはならない、むしろみなエゴを主張すべきだという訴えだが、これもいまは支持されにくいだろう。「プロ市民」の「わがまま」というレッテルがすぐ思い浮かぶ。

 全体を見て感じたのは、運動の方法論は68年から進化しておらず、それゆえ袋小路に入っているのではないかということである。半世紀前と比べて、社会の暴力や違法行為への許容度ははるかに下がっている。それ自体は歓迎すべきだが、抗議の表現の幅はどうしても狭くならざるをえない。

 現代社会ではわがままなチンピラは存在を許されない。そのような環境で68年の方法論だけをまねても、優等生と文化人が集まる無力な抗議集会しか開くことができないのだ。むずかしい時代である。

AERA 2017年11月13日号

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