ソチ冬季五輪で銀メダルを獲得したスノーボード女子アルペン・竹内智香選手が「AERA」で連載する「黄金色へのシュプール」をお届けします。長野五輪を観て感動し、本格的に競技をスタート。2018年2月の平昌五輪では念願の金メダル獲得を目指す竹内選手の今の様子や思いをお伝えします。
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実は私、スノーボード選手だけでなく、もう一つの別の顔を持っています。それは、“板職人”。自分が乗るボードを自ら製作しているのです。パッとこの世界を見渡しても、選手自らボードを作っている人はほとんど見たことがない。いまではメーカー展開しているので、うちのブランド“BLACK PEARL”の板を愛用してくれている選手たちもたくさんいます。
さかのぼること、2007年。以前の話にも出てきたシモンとフィリップのショッホ兄弟が、スイスで自分たちが使用する板を製作し始めました。それを見ていた私も「ぜひ女子用の板も作ってほしい」とお願いしたのですが、時間もお金もまだ余裕がなく断られていた。ただ私も粘りに粘って、ようやく翌年から一緒に製作に参加することになったのです。
それまで使っていたマテリアル(道具)に大きな不満があったわけではありません。ただ、良い板といわれる製品の主流はヨーロッパブランドで、やっぱりヨーロッパの選手たちに優先的に出回る。世界でまだそこまで結果を出せていない日本人は、型落ちの板を使わざるを得ない状況でした。でもそれは、今私が実際にマテリアルのメーカーの立場になって理解できること。良い物は良い選手に提供したくなるのは当然です。そこで当時の私は、自分のスペシャルな板を作りたい、と思った。すぐに自主製作への意欲が高まったのです。
最初はスイスの小さな工場で、みんなで作っていました。私も材料を切って、最初は見よう見まねながらも徐々に慣れていって。もちろん板作りはみんな素人なのですが、そこがスイスのすごいところ。選手でありながら、みんな手に職を持っている。シモンなんかは自分の家のキッチンをつくったり、ガレージとかも平気でつくれる人。だから製作技術の基本を持っていたことが大きかったですね。
その後、日本国内の工場で生産してもらえることになり、現在も新潟県に生産拠点があります。この板作り、もちろん初めは自分自身のためという思いが強かったです。しかし、長く携わってきた今では、選手としての競技面とはまた違うモチベーションにつながったり、社会との関わりという面でも私に大きな意義や価値を与えてくれています。次回はそのあたりについて、さらに深く話ができればいいなと思います。(構成/西川結城)
※AERA 2017年10月16日号