「断捨離」と言われても、なかなかモノが捨てられない。だが、インターネットのおかげで、実家の片づけや引っ越しで出るガラクタにも値がつく時代に。訪日する中国人が、家の片隅に置かれた中国骨董に高値をつけ、メルカリでどんどん遺品整理もできる。タンスの中は、宝の山だ。AERA 2017年9月25日号では「お宝流出時代」を大特集。
モノでも、体験でも人生の逸品を見つけられた人は幸せだ。その喜びは世界でひとつの物語。田中真紀子さんのお宝を見せてもらった。
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「人生は一度しかない。時を大事にしろ。正確な時計を身につけるべきだ」。そう語っていた父の田中角栄の遺品を、今も愛用しています。
スイスの老舗パテック・フィリップ社の腕時計です。父は国会答弁の時も、東京・目白台の自宅で陳情を受ける時も、ちらちらとこの時計を見ていました。時間に追われる感覚は、新潟から上京し、働きながら夜学に通った若い頃にしみついたのでしょう。
父の地盤を引き継ぎ、1993年に衆議院議員に初当選しました。見届けるようにその年に世を去った父の時計を、大切に保管してきました。
外相を辞めた2002年ごろ、時計のことをふと思い出しました。父とは逆に、時間に追われなくなってから父の時計を使うようになりました。大きな文字盤がいい。年をとって目が悪くなったし、父への思いも募ってきたし。
お父さんいるな
でも、最初は動きませんでした。銀座の和光や三越でお手上げと言われ、ジュネーブまで送りました。パテック・フィリップ社では製造番号ごとに、誰がいつ作りどう修理されたかの記録があるんです。おかげで直って、半年で戻ってきた。
父の汗を吸った黒いベルトをそのまま使うのはさすがにつらく、青に替えました。24時間ごとにゼンマイを巻かないと止まってしまう。毎晩父が床に就く前にリュウズを回していた姿を思い出します。
つけていると、お父さんいるな、という感じ。パワーをもらうとかじゃないわよ。私のほうがあるから(笑)。
修理した時、文字盤の裏に「K to M」と彫ってもらいました。角栄から真紀子へ。下のほうを空けて、「M to ~」と3、4代は受け継いで記せるようにしてあります。
父が首相の時に遂げた日中国交正常化の45周年になり、8日に北京の人民大会堂であった式典に招かれて挨拶をしました。
「両親がここに来ています」と言って、この父の時計と、母の帯留めを作り替えた胸のブローチを中国語も交えて示しました。(構成/朝日新聞政治部・藤田直央)
※AERA 2017年9月25日号