「豊田さんはストッパーが外れたようで、刺されるかもしれないとさえ思ったんです」

 暴行は21日も続き、退職を決意。豊田氏に何度か慰留されたというが、通常国会の会期末の6月18日、通告通り退職した。秘書登録し「主従関係」になったことが、暴言や暴行につながったのではと思う。

 一連の経緯について豊田氏と事務所に事実確認を求めたが、期日までに回答はなかった。

 政策秘書を含む国会議員の公設秘書は、国に給料をもらう特別職の国家公務員だ。ただ、採用権限は議員が持ち、労務管理も議員次第。やりがいはあるが、いつクビになるか分からず、議員が落選すれば失職する、極めて不安定な仕事だ。厚生労働省によると、労働者の人権を保障する労働基準法が公設秘書にも適用されるが、「厳格な労働時間管理になじまない」と、労働時間や休日などの規定が適用除外になることもあるという。

●人権すり減らして働く

 元秘書は4月末からほぼ毎日、新座の地元事務所で働くようになった。大型連休中の休みは実質1日で、その後も休みは週1日程度だった。平日は朝6時半に起き、都内の家から電車を乗り継ぎ、午前9時に新座の事務所着。土日祝日は豊田氏とともに1日5~10件程度を回る。終電間際に電車に飛び乗り、帰宅は午前1時すぎ。連日3~4時間睡眠が続き、「高速道路を居眠り寸前で運転した時もあった」。

 運転中、豊田氏から続く叱責(しっせき)。「こちらが口を開けばまた怒られる。火に油を注ぐだけ」と萎縮した。

 政策秘書は、議員の政策立案や立法調査機能を高めるため、1994年1月に創設された。元秘書は00年にこの資格を取った。過去務めた三つの議員事務所では、永田町で議員と議論し、議員の考え方や政策を理解し磨き上げてきた。ところが、豊田事務所では政策の議論はほとんど求められなかった。

「働き方改革」を叫ぶのに、それを議論する国会議員の足元は例外か。嫌なら辞めればいい、それがまかり通れば秘書は使い捨てだ。元秘書は「秘書の労働条件整備などが必要。議員と秘書のストレスチェックもやるべきです。このままでは秘書になりたい人が減り、質も下がってしまう」と危惧する。

 7月6日、埼玉県警への被害届提出は躊躇(ちゅうちょ)しなかった。「秘書は議員の奴隷じゃない。人権をすり減らして働くことは、議員にも有権者にもプラスにならない」

(朝日新聞東埼玉支局記者・加藤真太郎)

AERA 2017年8月14-21日号