批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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アドビシステムズ社が6月末に発表したある調査結果が、波紋を広げている。日本の12歳から18歳までの世代は、自分たちを「創造的(クリエイティブ)」だと考える傾向が、欧米の同世代と比べて著しく低いというのだ。
数字を見るとたしかに衝撃を受ける。日本で、自分をクリエイティブだと答える子どもはわずか8%。この数字が米国だと47%、英国だと37%、ドイツだと44%になる。将来創造的な仕事についていると思うかという質問に対しても、日本の子どもは著しく否定的な答えを返す。アンケート全体を通して浮かびあがってくるのは、日本の子どもたちが、自分たちをクリエイティブだと見なしておらず、人生で創造性が重要だとも考えておらず、ネットや教育にもたいして可能性を見いだしていないという、じつに暗澹たる現実である。
アドビの調査は日米豪欧の比較のみで、アジアは対象としていない。サンプル数も少なく、この結果がどこまで日本の特異性を示すものなのか、精査が必要だ。とはいえ、この結果が、教育の現場に多少の反省を迫るのはたしかである。
創造力やクリエイティブという言葉は、政策でどれほど意識されているのだろうか。安倍内閣の諮問機関である教育再生実行会議は、6月に第10次提言をまとめている。自己肯定感の強化を主題にしているが、創造力も創造性も出てこない。1年前の第9次提言には創造性が一度だけ出てくる。過去の記録を遡ると、2015年の第7次提言でICTの活用やアクティブラーニングの推進が話題になったことがわかる。今後、その効果が出るのを期待といったところだろうか。
一連の提言を読むと、日本の教育政策がいま、貧困対策やいじめ対策や障害児教育の整備に忙しいことがよくわかる。実際に首相は教育無償化に意欲を見せている。ともにたいへん重要なことだ。しかしそれはマイナスの削除にすぎない。マイナスを取り除くだけでは必ずしもプラスは生まれない。日本の子どもたちに自信を与え幸せにするため、その「あと」になにが必要になるのか。大人は知恵を絞らねばならない。
※AERA 2017年7月31日号