「趣味は何ですか?」。会話の糸口に聞かれることは多いもの。だが、これといって趣味がないと、この質問はプレッシャーだ。SNSにはリア充趣味に興じる様子がてんこ盛り。趣味界は、なんだかんだと悩ましい。インスタ映えを重視して「趣味偽装」する人、趣味仲間から抜けられずに苦しむ人もいるらしい。AERA 7月31日号ではそんな「趣味圧」の正体を探る。
『趣味は何ですか?』(角川文庫)は無趣味なノンフィクション作家・高橋秀実さん(55)が、2年間にわたり蕎麦打ちからヨガ、カメまでさまざまな趣味を体験した本だ。作家は趣味を得ることはできたのだろうか。どんな趣味の境地に達したのだろう。
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「釣り」が趣味という人がいますが、あれは「釣る」のが趣味ではないんですよね。「釣れない」のが趣味。もしガンガン魚がとれたら、それは「釣り」ではなく「漁」です。習い事も同様で「できない」から趣味。あっという間にできてしまったら趣味にはなりません。
趣味という言葉が一般化したのは明治時代で、もともとの語源は英語のtaste(テイスト)。すなわち「味わい」です。釣りが趣味の人は「釣れないな」「どうしたら釣れるんだろう」と「釣れない状態」を味わっている。習い事も「あ~、ダメだ」「やっぱり難しい」と「できない状態」を味わっているのです。だから「何もしないこと」を味わうなんていうのも趣味になりえる。
「あの人は趣味がいい」という言い方をしますが、これは「センスがいい」という「テイスト」の意味合いです。ところが「趣味」に英語のhobby(ホビー)の意味が加わり前面に立つようになって、さまざまなズレが生じるようになりました。
陸上の100メートル走が趣味で、マスターズの大会にも出場するような60代の女性を取材したことがあります。走る様子を見ていると、ものすごく怖い形相をしてゴールに向かってくる。その迫力に圧倒され、思わず「何が面白くてやっているんですか?」と尋ねると、「走っているときは、ひとりになれる」と言うのです。