専業主婦の方でしたが、家にひとりでいても、実はひとりになれない。家族の洗濯物があれば片付けなければならないし、台所に立てば家族の食事を考えてしまう。常に夫や子どもの気配につきまとわれる。それが、グラウンドに立ち、全力疾走すると「振り切れる」と言うのです。純然たるひとりを味わえる。

 その話を聞いて、ゴールに向かってくるときの凄まじい形相が腑に落ちました。彼女にとってのスタート地点は「家族」で、100メートル走は「家族からの逃走」なのです。

 一方、フローレンス・ジョイナーという100メートル走の世界記録を持つ選手がいました。彼女はゴールにトレーナー兼愛する人が待っていた。「愛」に向かって走っていたのです。ジョイナーにとって100メートル走は、愛する人とひとつになるための「愛の疾走」だった。

 同じ100メートル走でも、味わいはこうも違う。ホビーが仮に同じだったとしても、味わいは人それぞれ。100人いれば100通りの趣味があるのです。

 さらに趣味界を厄介にしているのが「趣味は何ですか?」という問いです。これは初めて会った者同士のコミュニケーションの糸口として利用される。とりあえず“とっかかり”として投げかけられるのです。だから「趣味はありません」と返すと気まずくなる。相手が差し出したコミュニケーションの土俵に乗るのを拒絶することになるからです。

『趣味は何ですか?』は月刊誌の連載をまとめた本なのですが、まさに講演会の会場で参加者の方に「趣味は何ですか?」と聞かれたのがきっかけでした。無趣味ゆえ、頭が真っ白になり、言葉に詰まってしまった。

 蕎麦打ち、ヨガ、カメ、階段、エコなど、2年間さまざまな趣味を体験。自分の趣味が見つかるかもしれないという期待もありましたが、結局変わりませんでした。

 というより、趣味はテイスト。生きていることを味わえるだけで十分。それ以上の趣味はいらないという境地に達したのです。

(構成/編集部・石田かおる)

AERA 2017年7月31日号

[AERA最新号はこちら]