「政治主導」での混乱なら実は田中氏も負けていない。小泉内閣の外相当時は官僚と対立し9カ月で更迭。民主党の野田内閣では文科相に就任早々、「大学不認可」で騒動を起こした。
文科省の審議会が認めた翌春開学予定の大学新設3件を不認可とし、唐突で混乱を招いたとして1週間で撤回、謝罪。だが、「時の首相のお友達の大学が認可されるような政治主導とは全く違う」と振り返る。
就任直後のブリーフで事務方は、大学が乱立する中で当時発覚した巨額の負債や不正経理などの問題を強調していた。
「ところが3件も財政や運営で疑問があったのに認可のハンコを押せ押せと。少子化でやたら大学をつくって倒産したら社会へ出る学生はどうなるのと聞いても、決まったことだからと」
●でんと構えて支える
ある幹部はかつて出向した自治体にある大学の認可だけ強く求めてきた。国会などでは自民党文教族から批判の嵐。
「自民党政権でずっとやってきたことなんだなと。それならこの際、認可の基準を明確に、手続きを透明にしようと有識者会議を立ち上げた」
ほぼ同時に野田内閣が衆院を解散。敗れた選挙中も地元から戻って出たその会議は安倍内閣に引き継がれ、提言を出した。
「でも、加計の件では無視されたとしか思えない。教育行政が利権化しているから説明できない。教育には喜びや苦しみが詰まっていて、誰にとっても重いものなのに」
その大学不認可騒動の収拾にあたったのが、当時文科省官房長だった前川氏だ。「でんと構えて支えてくれた。文教行政に非常に誇りを持っていた」と田中氏。加計問題での証言を「風穴を開けた。公益のためによくやってくれた」と振り返る。
「総理のご意向」の内部文書を松野博一文科相は当初、「確認できなかった」と説明。田中氏は、連絡を取り合う文科省幹部に冗談交じりに促していた。
「前川さんはルビコンを渡ったんだから。誰かが閣議後の大臣会見に飛び入りして、記者の前で『内部文書がありました』と手渡せばいいじゃない」