映画「きらめく拍手の音」は東京・ポレポレ東中野で公開中。順次、全国で上映される。上映館全館でバリアフリー字幕に対応
映画「きらめく拍手の音」は東京・ポレポレ東中野で公開中。順次、全国で上映される。上映館全館でバリアフリー字幕に対応
イギル・ボラ監督は1990年、韓国・京畿道生まれ。18歳で高校を退学し映画の道へ。この作品は山形国際ドキュメンタリー映画祭2015アジア千波万波部門で特別賞を受賞(撮影/越膳綾子)
イギル・ボラ監督は1990年、韓国・京畿道生まれ。18歳で高校を退学し映画の道へ。この作品は山形国際ドキュメンタリー映画祭2015アジア千波万波部門で特別賞を受賞(撮影/越膳綾子)

 聴覚に障害を持つ両親の子どもとして生まれた映画監督が、自分の家族を題材にドキュメンタリー映画を撮った。家族の暮らしには、音があった。

 やっと喃語(なんご)を話し始めるかどうかという赤ちゃんの頃から、口ではなく手を動かして言葉を覚えた。物心がついてからは、自らが手話通訳をして聴覚障害のある両親と社会をつないだ。

 韓国人のイギル・ボラさん(26)は、聴覚障害者の両親を持つ「CODA(コーダ)」だ。コーダは「Children of Deaf Adults」の頭文字で、ボラさん自身は聴覚に障害はない。

●音があり表情がある

 親が聴覚障害者であることは、いつもついて回った。9歳の頃にはすでに、親に代わって銀行で借金の額を聞いたり、引っ越し前に家主に電話して家賃や保証金の額を聞いたりしていた。「両親は耳が聞こえないので、私が通訳をします」と説明するたびに、困惑されたり同情されたり。かわいそうに、と現金を握らされたこともあった。

 テストで100点を取ると「親が障害者なのに偉いね」とほめられ、友だちとケンカをすれば、自分だけでなく親のことまで悪く言われたという。

 ボラさんは言う。

「社会が求めたのは、“善良な障害者と善良なその子ども”でした。一方で、障害者には欠点や傷があるという見方をする人もいるんです」

 社会の要求に応えなくては。勉強も運動も人一倍努力し、全寮制の進学高校に入学した。しかし、もっと広い世界を見たくて、せっかく入った高校を18歳で中退。一人、東南アジアを旅した。初めて両親の障害を説明する必要のない世界を歩き、コーダであることを見つめ直した。その後父と訪ねたアメリカで、手話で話していても誰も振り返らない、という体験をした。

「ろう文化やコーダの存在が、しっかりと認識されてる!」

 ようやくアイデンティティーを手に入れた。「きらめく拍手の音」は、そのボラさんが撮ったドキュメンタリー映画。両親の日常を娘の視点で追いかけた。

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