前川喜平氏の発言が浮き彫りにした政府の不誠実(※写真はイメージ)
前川喜平氏の発言が浮き彫りにした政府の不誠実(※写真はイメージ)
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 政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。

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 文部科学省の前川喜平・前事務次官の告発により、加計疑惑に火が付きました。

 驚いたのは、その後しばらくして前川氏のプライベートな素行が日本最大の発行部数を誇る新聞で報道されたことです。勘ぐれば、政権に抗うようなことをすれば、個人情報も含め、いくらでも痛いところを突ける、という牽制力になりますし、それは文科省のみならず、霞が関全体に対しても睨みを利かせることになったと言えます。

 前川氏がメディアに出て、加計学園の獣医学部新設の経緯について公言したことは、官僚としての最後の矜持というものを感じます。その中で「政策決定がどのようになされているのかということを知ることは民主主義の基本である」という前川氏の言葉は、今の時代状況を考えると、とても重たい発言です。

 もし政策決定過程が透明でないとすれば、どこで誰が何を決めているのかが、まるでブラックボックスのようになってしまいます。本来マスメディアは、これを透明にして国民に知らしめる役割があるはずです。

 しかし、日本最大の新聞が前川氏の人格攻撃と言えるような記事を掲載するなど、官邸の意向を忖度するような動きには首をかしげざるを得ません。いったい権力をチェックするという報道機関の役割と矜持はどこに行ってしまったのでしょうか。

 また驚くべきことに、安倍晋三首相のフェイスブック公式アカウントが、一連の問題を紙面展開した朝日新聞を「言論テロだ」と書いた投稿に、「いいね!」を押しています。

 今、問われているのは国民が「知る権利」をないがしろにされているのではないかということです。政策決定のプロセスが歪められ、ブラックボックスになっているとすれば、由々しい事態です。しかも、前川氏だけでなく、現職の文科省職員も存在を認めている文書について、その存在を否定するだけでなく、公文書ではないと突っぱねようとしている政府の対応からは、知る権利への配慮は見られません。

 今回の件は、民主主義の根幹が問われています。社会の根幹が揺らいでいると考えるべきです。しっかり推移を見守りたいと思います。

AERA 2017年6月19日号