寺脇研(てらわき・けん)/1975年、東大法学部を卒業し、文部省(現文部科学省)に入省。官僚時代はゆとり教育の広報を担当。現在は京都造形芸術大学教授、映画評論家 (c)朝日新聞社
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 日本の学歴社会の頂点に君臨してきた「東大法学部」。政財官に人脈を伸ばし、国を支えてきたえたエリートたちの母体だ。良くも悪くもスタイルを変えてこなかった「象牙の塔」にも、時代の激変の波は押し寄せる。偏差値序列社会は終わるのか。かつて「砂漠」と称された東大法学部はいま、脱皮の時を迎えている。AERA 2017年3月27日号では、東大法学部を大特集。

 試験を変えなければ、教育は変わらない──。新センター試験対策に、すでに学校現場が動き始めている。キーワードは「アクティブラーニング」「英語」だ。いったい、何が評価される時代になるのか。元文部官僚、寺脇研さんに話を聞いた。

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 アクティブとは正反対のパッシブラーニングの代表が東大法学部です。その象徴が駒場キャンパスの900番教室。私の時代は1学年約600人が、憲法などの必修科目をそこで学びました。こうしたマスプロ教育が社会で通用しないのは語るまでもありません。東大自身も、これじゃダメだと推薦入試を始めたり、女子学生向けの家賃補助制度を新設したり、変わり始めました。手前味噌ですが、ゆとり教育のボディーブローが効いてきているわけです。

 お受験する人でも小学校は公立が多いでしょう。主体的に学ぶ力を育てる総合的な学習の時間を経験し、自ら学ぶ面白さに目覚めています。

 国だって、日本の子どもたちが皆「高校を卒業したらハーバードに行きたい」と言いだしたら困る。そうして教育改革が行われるのですが、ゆとり教育が目指したものと変わりません。学力低下論争からゆとり教育が見直しとなったのは、2007年の第1次安倍内閣のとき。見直した手前、第2次安倍内閣では言葉をすり替えているだけの話です。

 第1次と第2次の間に何があったのか。リーマン・ショック、震災、そして原発事故です。成長社会から成熟社会へ。競争社会から共生社会へ。この時代のはざまで成長を疑わない方々から学力低下論争が起こりましたが、人々の意識も変わりました。

 映画「シン・ゴジラ」も時代を表しています。巨大不明生物特設災害対策本部に集められたのは、いわゆる非エリートのはぐれ者ばかり。東大法学部なんて有事には役に立たない。私は、そんなメッセージも受け取りました。(談)

AERA 2017年3月27日号

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